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第1章 異世界の神初心者ですがよろしくお願いします
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異世界の神になってちょっと立地見るだけ

1. 神さまになろう

「ただいま神さまを募集しております。
 お暇でしたらぜひお試しになられてはいかがですか?」

 近所のコンビニで立ち読みしてたら変な勧誘された。
 不肖、この世に生まれて 19 年ではじめての体験である。
 窓の外を見れば、真っ青な空にうずたかく積み上がった入道雲が鎮座ましましている。季節は夏。予想最高気温は 38 度。

「ふむ」

 勧誘してきた人に向き直る。めちゃくちゃきれいな女の人だった。どこの国の人だろう。髪も肌も真っ白だし、瞳も青い。背は俺よりも幾分低い。歳は分からないが、それほど上には見えない。留学生なら同年代だと思うが、欧米人は成熟が早いから、それを差し引いて見れば年下かもしれない。
 やたら流暢な日本語だったけど、外国の人ならこっちの気候に慣れてなくても無理もない。
 暑さで頭がおかしくなったんだろう。

「熱中症でしたら、救急車呼びましょうか?」
「いえ、大丈夫です」

 大丈夫らしい。
 ということは熱中症なのは俺の方かな?
 聞き間違えただけだと思いたい。

「えっと、神……なに?」
「ただいま神さまを募集しております。お暇でしたらいかがですか?」

 聞き間違いでもないらしい。
 暇は暇だ。夏休みだし。
 でも暇だからといってその気もないのに話を聞くというのはかえって迷惑だろう。営業や勧誘だって時間を割いて行われるものだ。見込みのない人までわざわざ相手にすることはない。

「宗教の勧誘なら間に合ってますので」
「そうではありません」
「ふむ」

 宗教でもないとすると、なんだろう。
 日本語で話してるように聞こえるけど実は日本語じゃないのかな。外国の人みたいだしありえるかもしれない。めっちゃ意思の疎通できてる気がしてるけど実はぜんぜん通じてないとかありえるかもしれない。

WouldyouspeakJapanese,please?」
「さっきから日本語で話しとるっちゅうねん」

 !?

「失礼、取り乱してしまいました」

 ふぇぇ、こわかったよお……。
 ま、まあ、日本語なのは分かってたよ。

「それで、いかがでしょうか。ぜひお話だけでも」
「すみません我が家とても狭いので誰か泊めてあげることはできないんですよ」
「神さまを募集するといっても別に家出した少女に宿や食事を提供してほしいということはありません」
「ふむ」

 じゃあなんなんだろう。
 本当の神ってこと?
 いやいやまさか。
 なろうと思ってなれるんだったら「神様になろう」ってサイトができるし登録者数も四十万人を超えるしそのアマチュア神の中からプロ神候補を獲得しようとたくさんのスカウトが声をかけてくるようになってしまう。ヤバイ。

「神さまにお願いしたいのは、これからできる新しい世界で、その住民たちを見守り、ほんの少し導いていただくだけの簡単なお仕事です」

 救急車呼んだほうがいいかな。
 これが宗教の勧誘じゃなくて本当に新しい世界の神になってくださいということならちょっと病院を紹介しないといけないような気がするんだけど、本人は大丈夫だって言ってるし、そうするともしかして大丈夫じゃないのは俺の方……?
 そういえば、ここ最近あんまり寝てないんだった。
 ゆうべもちょっと立地見ようと思って Civilization Ⅳ はじめたら先史時代に入った直後にモンテスマに斧投げられて文明滅んだよね。
 むかついたし何回もやり直してるうちに、気付いたら朝だよね。
 朝って言うかもう昼前なんだよね。お腹も空いてくる時間だ。
 まあ夏休みだし昼夜逆転も徹夜もどうってことはないんだけど。
 眠い。
 寝てないから変なこと言ってるように聞こえるに違いない。
 きっとそうだ。
 帰って寝よう。お布団が待ってる。あの夏で待ってる。

「寝不足で頭働いてないみたいなんで、また後日ということで……さようなら」
「あっ! ま、待ってください!」

 コンビニから出る。女の人も後を追って出てきた。
 と思ったら、ふらりと体がぐらついて、その場にへたり込んだ。

「えっ、ちょっ、大丈夫ですか?」
「すみ……ま、せん……」

 息は絶え絶えだし顔は青白いしヤバい。
 冗談でなく救急車呼んだ方がいいのかもしれない。でも、今は真夏の日中、救急車が来るまでこんなところで待ってるわけにもいかない。
 とりあえず肩を貸す。
 こうして触れてみるとびっくりするくらい腕が細っこい。あとやわらかい。ほんのり汗ばんでいる。あとやわらかい。何か当たってる。とてもやわらかい。
 はっ、いかん。
 弱った人を相手に俺はなんちゅう不埒なことを。
 平静に保つのだ。
 無我無心。
 俺は今「無」である。

 ……そうじゃない。
 この人、助けなきゃいけないんだった。

「あ、歩けますか?」
「はい、なんとか……」

 とりあえずどこか休めるところ……自分の家か。家まで運ぼう。


「この世界はが悪すぎます」

 そういって彼女はペヤングを食べる。
 食べる。
 ズルッ、ズルルッ。
 ただただ、食べる。
 一心不乱に、食べる。
 彼女の前の座卓には、ペヤングの空トレーが積み重なっている。何個食べたのかは怖いので数えていない。
 母ちゃん、送ってくれた段ボール箱、すっかり空になったよ。
 そういえば初めて女性を自分の部屋に上げたような気がするが、この光景を目の前にして、何か感慨が湧くかというと、どうだろう。

 結局のところ、立ちくらみの原因はただの空腹だった。

「ふう……ごちそうさまでした。すみません、休ませていただいた上に食べるものまでいただいてしまって」
「いえ、それはいいんですが」

 厳密にはよくない。
 このペヤングたちで夏休みの半分はしのげただろうし。

「朝から何も食べてないんですか」

 そういうレベルで済む話でもないような気がしたが、一応聞いてみた。

「いえ、そういうわけではありません。そうですね……そのあたりも含めて、これからひとつずつ説明していこうと思います」
「はあ」
「まず、わたしはこの世界の住人ではありません」

 たった今、現実離れした胃袋の収容能力を目の当たりにしていなければ、「この人お腹空きすぎて頭おかしくなったのかな?」って思うところだが、多分おかしくなったのは俺の方である。主に眼と脳。
 ちゃんと睡眠を取った方がいいと改めて実感する。
 ……現実逃避なのは充分理解している。
 けれども、見間違いとか勘違いのせいにしたほうが幸せなんじゃないかな。
 ペヤングって 2 個で 1,000 キロカロリー超えるからね。
 この人いったい何個食べたのかな?
 とする俺に構うことなく、彼女は続ける。

「この世界に留まるためにはとても多くのエネルギーが必要になります。あやうく気を失いそうになるほど空腹になったのはそのためです」
「ってことはまた時間が経ったら」
「そうですね。また空腹になりますが、大丈夫です。お金はありますし、自分で食料を調達しますので」

 そこは心配してないんだけれども、またあれだけの量を食べるの?
 なるほど確かに燃費が悪い。
 エンゲルさんも真っ青になるレベル。

「そんなにお腹空くくらいなのに、なんでまた、わざわざこんなところまで来たんです?」

 この際、異世界から来たというのはそうなんだと思うことにして。

「最初にお話したとおり、神さまになっていただける方を探しているのです」

 神様、ねえ。

「神なんていなくても世界は回ると思いますよ」

 前に、処女のはずのカトリックの修道女が妊娠して修道女なのに不謹慎だ(処女が妊娠するはずないから禁を破ってセックスしたに違いない)って話題になってたのを思い出す。
 まったくおかしな話だよ。
 キリストが誰から生まれてきたのかお忘れなのでは?
 まあだから神を信じないってわけじゃないんだけど、それくらいばかげていると思うんだよね。
 政治装置としての宗教の有効性は理解するんだけど、神の実存が必要なわけではないのだし。

「いえ、神が必要なのは世界ではなくて、わたしたちの方なのです」
「どういうこと?」
「言いにくいことなのですが、これはきわめて利己的な理由で……世界をよりよくするために神さまを探しているのではないのです。神が世界に介入することで、世界がどう変わるのか。わたしたちはそれを知りたいのです」
「自分たちが神になればいいのでは」
「面白い映画を観たいと思ったときに、あなたは自分で映画を撮るのですか?」

 こいつ、むかつく正論を!
 いや、ここはぐっと我慢するところ。
 俺は大人だから我慢できる。

「わたしたち自身が神になって得られたのは、わたしたちには神の役を担うだけの才能がないという事実だけです」

 そういってとても残念そうな顔をするので、なんでだか同情しそうになった。
 同情してうっかり「じゃあ俺やりますよ、神」とか言いそうになった。
 危ないところだった。
 だが、分からない。

「誰でもなれるわけじゃないっていうのは分かったんですけど、だったらなんで俺なんでしょう? そこが余計に分からない」

 どうして俺に声をかけたのか。
 それが不思議だ。
 言っちゃなんだが、俺の学力は地方公立大レベルで、悪いってことはないけど取り立てて優れていると言えるようなものじゃない。
 身体能力が優れているわけじゃない。
 グループの中心人物になるような人気やカリスマがあるわけじゃない。
 何かすごい特技があるわけじゃない。
 けれども、彼女は言うのだ。

「いえ、あなた以上に神さまを担うのにふさわしい人材はいません」
「どうして」
「話してもいいのですか?」
「何を」
「北欧神話をモチーフに、あなたが中学二」
「わー——————ッ!?」

 それいじょうはいけない。

「どうしてそれを知っているんです……?」

 俺は胸の動悸を必死にこらえながら、震える声で尋ねる。
 クソッ、静まれ、俺の心臓!

「神さまにふさわしい人物を探すために、この世界をずっと観察してきましたから。あなたのことも、ずっと見てきました」
「ずっと前から?」
「はい」

 そうするとほかにもいろいろ知られているのではないだろうか。
 ヤバイ。
 それはとてもヤバイ。
 冷や汗が緊急生産体制に入った。
 でもアレのどこに神の素質を見出したんだろう?
 思い出したくないので深く考えるのはやめよう。

「ってことは、名前とかも」
「はい、存じています。ヤエガシ・トールさま。雷の神ト」
「やめろ」

 この女、知らなくてもいいことを知りすぎている。
 危険すぎる……。
 とりあえず話題を逸らそう。

「そ、それよりどうして今頃になって声をかけてきたんですか」
「お暇ができるのをお待ちしていました」

 なるほど。
 確かに昨年までは受験に備えて夏休みはずっと夏期講習だった。大学生になって最初の夏休み。人生で初めて手にした長い長い自由時間である。

「もちろん、ほかに何かなさりたいことがあれば、そちらを優先していただいて構いません。わたしは誰かの自由を奪ってまで神さまになっていただきたいわけではないですから」
「きわめて利己的な理由だから?」
「そのとおりです」

 一応配慮はしてくれてるのか。
 暇になるまで声をかけるのを待ってくれていたみたいだし。
 夏休みの予定はない。
 一昨日も昨日も、Civだけだ。
 Steam でおもしろそうなゲーム見繕って、何も見つからなければまた Civ になるだろう。何か見つかれば……買う前にまずは体験版をダウンロードする。
 そうか。

「体験版」
「え?」
「体験版は、ありますか?」
「たいけんばん……と申しますと」
「一日市長みたいな、一日神様とか」
「ああ……なるほど、そういうことですか。神さまを試しにやってみて、それから判断なさる、ということですね」
「そうです。たぶん話だけ聞いても分からないと思うんで」

 それに「神さまになりました」っていって途中でやめられないとかも困る。
 お試し期間を設けてもらえるなら、何か不都合があったらそこで降りるってこともできる。

「そういうことでしたら……というよりは、神さまのご都合でいつでもやめられますので、お気軽にお試しください」
「そっか」

 俺は安堵する。
 興味はある。
 そりゃそうだ。
 俺とてこれまで幾度となく文明を築き上げてきた(画面の中でだけど)わけで、世界の神になって民を導くって聞いて、やってみたくないわけがなかった。

「じゃあ俺、ちょっとやってみます、神」

 まずいなと思ったら引き上げればいいし。
 ちょ、ちょっと立地見るくらいなら、いいかな? 大丈夫だよね?

「そうですか……!」

 ぱああ、と顔を明るくする。

「それでは、よろしくお願いします、トールさま」
「うん、よろしく……えっと」
「そういえばわたしの方は名乗っていませんでしたね。わたしは、アンネルーリエンルルナネルリルーネリアンルルアンネと申します」
「アン……なんだって?」

 ちょっと何言ってるかよく分からなかったですね。

「アンネルーリエンルルナネルリルーネリアンルルアンネです」
「それどこで切ったらいいの?」
「切る、とは」

 アンなんとかさんは小首をかわいらしく傾げる。
 ……ひょっとしてその長いので一つの言葉なのか。
 確かに俺もをどこで切ったらいいって聞かれたら困る。聞かれることはないんだけど。

「いや……えっと、それだとちょっと長いから、アンネって、短く呼ぶのはどうかな、って思うんだけど、ええと」

 めっちゃどもってしまった。
 俺 is コミュ障……。

「アンネ、ですか。子供の頃はルーンと呼ばれていましたが、この世界の方の感覚だとそういう愛称もあるんですね。新鮮です」
「愛称あるのかよ!」

 あるなら先に教えてよそうしたら恥ずかしい思いしなくて済んだのに……。
 だが、俺は本当の恥ずかしさをまだ知らなかった。

「いいえ、わたしはもう気に入ってしまいましたので。ぜひアンネとお呼びください。トールさま」

 アンネは顔を綻ばせ、朗らかに言う。
 眩しすぎて直視できない。
 それになんだか背中がかゆいような気もする。
 あっ、いやそうか。そうだよな。そりゃむずむずするわけだ。
 トールさま、て。

「その、様付けはよしてもらえると助かります」
「でしたら、トールさまも、もっと楽にお話しください」
「見ず知らずの他人に失礼があったらいけないってばあちゃんが」
「ハハッ、こいつさっきうて早々に救急車呼ぼうとしとったんにこないなこと言うて、めっちゃウケるで」

 !?

「失礼しました」

 この人根に持つタイプだ!
 ヤバイ。
 うかつなことを言うとうっかり口が滑ったとか言って喋ってはいけない類の個人情報を漏らされるやつだ。

「そういうことですので、わたしには楽にお話してください」
「わかりまし、いや、分かった」
「はい、トールさま」
「あの、様付けは」
「トールさまはこれから神さまになるのですから、自覚を持っていただく必要がありますので」

 き、きたねえ!
 こいつ最初からそのつもりで……!

「何を考えているのかは存じませんが、なんと言われようと構いません」

 ふふん、と鼻を鳴らす。
 そして、ぽつりと。

「……これくらい気安ければ、トールさまも気兼ねすることなく、お話しいただけるでしょう?」

 なんて、健気なことを言う。
 お、俺に気を遣って……惚れてまうやないけ……。

 と思ったが、すぐに考え直した。
 これは、罠だ、と。
 信用してはいけないタイプの相手だったらしい、と、今になって気付いた。
 だが、もう遅い。

「それでは、早速向かいましょうか」
「向かうって、え」

 問いに答えるかわりに、アンネはどこからともなく大きな板を取り出すと、それを部屋の真ん中に立てて置く。
 板、というか、これ、扉だ。

「その扉は?」

 もちろんどこに向かうのかは分かってるんだけど。

です」

 うん、そういうのだよね。
 でもちょっと待って、もう行くの?
 異世界の説明とか何にもなかったよね?

「詳しい話は、向こうでしましょう」

 扉を開くと、アンネは俺の手を取って引き寄せる。
 アンネの髪が鼻先をかすめて、ふわりと鼻腔をくすぐる。
 あっ、これが女の人の匂いなんだ……とか陶然としたのは一瞬のこと。
 次の瞬間、アンネは俺の背中を強く押して、扉の向こうに突き飛ばす。

「ちょ、ちょっと待って、まだ心の準備が——」
「それでは、異世界への旅に参りましょうか、神さま!」

 そうして俺とアンネは、扉の向こうへといったのだった。

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