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第1章 異世界の神初心者ですがよろしくお願いします
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異世界の神になってちょっと立地見るだけ

4. 神の視点

 ——朝まで待たなくても、時間の流れを変えればいいんですよ。

 アンネはそういって、無理やり時間を進めて、朝にした。
 そういえば時間感覚を操作できるとか言ってたっけ。
 ということは、時間を進めたというよりは、時間を感じる長さを極端に短くした、というのが正確かもしれない。

 ともかく、朝になったので、俺は下界に降りてきていた。
 昨日と同じ、森の中の野営跡だ。

 前回は夜だったので、ひょっとして見落としがあるかもしれないと思って、ちょっと調べてみたものの、特別大きな発見はなかった。
 大きくはないが、小さくもない程度の発見はあった。
 捨てられていた獣だか鳥だかの骨が、多分鳥かウサギだろうなと分かった。
 はっきりしないのは、だけで、頭がなかったからだ。
 の骨なら、大きさ的に鳥かウサギか……。
 大きなカエルという可能性もあるかもしれない。ここは異世界なので。
 大腿骨だけの理由は簡単で、捕まえてきて捌いたのではなくて、骨付きの保存食だとか、そのあたりだったからだと思う。鳥やウサギの肉の燻製だろう。
 ただの乾燥肉という意味の干し肉なら、骨付きは向いてない。少なくとも、保存食として持ち歩くには。のに手間がかかるし、食べない骨の部分は単純に邪魔になる。
 それでも骨付きを持ち歩くということは、骨付きのまま食べられて、骨付きのまま食べたいから、ということになる。
 保存食にしては、ややというかぜいたくすぎる食べ物だ。

 さて、これがどうして小さくない発見なのか。
 この捨てられた大腿骨から、二つのことがわかる。

 一つは、保存食に嗜好品としての価値を求めている可能性。
 骨付きの肉を丸ごと一本食べるというのは、スライスした乾燥肉片を食べるのと比べるまでもなくぜいたくな行為である。そんなぜいたくな行為が、野営という、無駄を切り詰めるべきシーンで行われた。
 むしろ、無駄を切り詰めなければならないからこそ、食事は豊かにしよう、という発想かもしれない。
 人間、食が貧しくなると、心も貧しくなる。貧すれば鈍す、である。
 そういう発想ができる程度には——そして、それを実行できる程度には——豊かな文明の影が見えるのだ。

 そして二つ目だが、これはもっと分かりやすい。
 単に塩漬けにして干しただけの乾燥肉でなく、燻製肉を食べた痕跡があるということは、つまり燻製という技術があるということだ。
 とはいえ、燻製の歴史は古く、火を使い始めた頃からあると言われている。
 燻製の技術それ自体は、野営ができるなら、つまり、火を使えるんだから、当然あるだろう。

 だが、そうではなく。
 一つ目の理由と組み合わせて考えると。
 この燻製技術は、単に保存できればいいというだけのものではなくて、嗜好品としての目的も果たせるものでなければいけない。
 素人が燻製を作って失敗すると、どうなるか知っているだろうか。
 俺は試したことがないからわからないが、想像はできる。
 煙くさくて、とてもマズイ。
 そんなマズいもの、骨付き肉を丸ごと食べたがるようなグルメ民族が好き好んで食べるわけがない。
 だから、最低限、食える程度には、というか、塩漬けにして干しただけの乾燥肉よりも、旨いはずである。
 そして、その保存食を美味しくいただくための燻製技術が、冬を越すための備蓄としてだけでなく、遠出の際の携行食をまかなえる程度には、発展し、そして普及している。

 そういう証なのである。
 この鳥だかウサギだかの大腿骨は。

 だからたぶん、俺は相当に運がいい。

 この野営をした集団が長距離の旅でないかぎりは、ここから一日二日程度の距離に、それなりの規模の定住集落があることが予想される。付け加えるなら、嗜好品としての目的を果たせる程度の燻製技術から、それなりの文化水準の定住集落でもあるだろう。

 さて。
 神には、少ないけれど、いくつか力が備わっている。
 を開いて、下界に肉体を降ろす『顕現』に。
 世界をまたいで交信する『神託』。
 そして、世界を見渡す力——、

 ——『遠見』だ。

 今が、その『遠見』とかいうやつを試すときだろう。

 ……どうやって、やるのかな?

 分からないことは人に聞く!

「アンネさん、アンネさん、聞こえますか」

 誰もいないところで誰かに呼びかけるというのは、からみると「このひと頭大丈夫かな?」って思われるような気がするが、気にしないことにした。ほら、誰もいないし。

 返事はない。

 あれ?

「アンネー。アンネー!」
『はい』

 いるじゃん。

「いるんだったら、早く返事を……いや、ひょっとして忙しかったとか」
『いえ、忙しくはありませんよ』
「じゃあ」
『大変申し上げにくいのですが、今のトールさま、変な人のようでしたので」
「確かに『こいつ誰に向かって呼びかけてるんだ?』って感じではあるけども」
『ようでしたというか、変な人ですよね』

 お前が返事しないからだろ!

『わたしが返事をしても、聞こえるのはトールさまだけですよ?』
「……」

 確かに。
 っていうか、あれ?
 今声に出してないけど、伝わったよな?

『そういえば、お伝えしていませんでしたか。世界間通信は、別に声に出して行う必要はありませんよ』

 は?

 つまり、ええと。
 頭で考えたことが、そのまま伝わるってこと?

『そのまま伝わる……というわけではありません。伝えようと思ったことだけです。考えたことが考えたまま伝わるのは、不便ですからね』

 なるほど。

『てっきりご存じとばかり思っていましたので……どうしてトールさまは、声に出してわたしを呼んでいるのかと』

 それは確かに変な人……って、ちょっと待て。

 そういうことは最初に交信したときに教えるもんだろ!

『最初に交信したとき……あ、思い出しました。わたし、ちゃんとお伝えしてるじゃないですか。「今トールさまの心に直接語り掛けています」って』

 あれってそういう意味だったのかよ! 分かりにくいよ!

『トールさまはわがままですね……』

 え、あれ、俺がおかしいの、か?

『それはさておき、何かご用があったのではないですか?』

 そうだった。『遠見』の使い方を聞こうと思っていたんだった。

『「遠見」ですか。そうですね……首を動かさずに、右を見ようとしてもらえますか?』

 む。
 首を動かさずに……。
 これって、目も動かしたらだめだよね。

『はい。首も目も動かさずに、右を見ようとしてください』

 むむ。
 む……。

 ……。

 できるかボケ!

『トールさまなら、できます!』

 ぐっとこぶしを握るアンネの姿が思い浮かぶようだ。

『もう一度お試しになってみてはいかがですか?』

 もう一度って言ったって……。
 首を動かさずに目も動かさずに前以外をどうやって見るんだ。
 そんなことできたら人間じゃない。
 いや。

 俺はいま、神なのだった。
 肉体こそ人間だが、神の御業を使うことを許されている、神なのだった。
 できる。
 できるんだ!

 ……。

 できるかボケ!

『言い訳してるんじゃないですか?  できないこと、無理だって、諦めてるんじゃないですか? だめだだめだ! あきらめちゃだめだ! 諦めんなよ! 諦めんなよ、お前!! どうしてそこでやめるんだ、そこで!! もう少し頑張ってみろよ! できる!できる! 絶対にできるんだから! もっと熱くなれよ!』
「うるさい!!」

 超うるさい!! 思わず声に出るくらいうるさい!! だいたいキャラブレまくりなんだよ!! 何キャラなんだよ!!
 だいたい異世界人のくせに日本の文化になじみすぎなんだよ、ニャルラトホテプ星人かよ!!
 ぜえぜえ。
 うるさすぎてうるさいと叫び疲れた俺の姿が目に浮かぶようだ。

 ……ん。

「なんか見下ろしたら俺が立っているように見えるけど」

 っていうか、見下ろしたらってどういうことだ。俺いったいどこにいるんだ。空に浮いてるのか? いや、俺は森の中に立っているのだ。そこにいるじゃん。見えるでしょ。

 ……んん。

「ヤバイ、俺、幽体離脱しちゃった!」

 ムーに投稿しなきゃ!

『トールさま』

 興奮する俺に、水を差すようにアンネが声をかけてくる。
 なんだよ。今忙しいんだよ。ムーに投稿する文面考えてるんだから。

『それが「遠見」です』
「……おお」


 結局どうやって遠見をやったのかはっきりとは分からなかったけれども、なんとなく分かったような気もする。自分を俯瞰するような感覚というか。
 まあ、もう一回試してみないとなんとも言えないが、今から試してうまくいかなかったら困るので、それは後にする。
 少なくともアンネの言うとおりのやり方じゃ俺にはできないってことは分かったしな。
 ひとによって向き不向きがあるんだろう。

 ともかく、視点を動かしてみる。体を動かすのとは違うが、前に進もうとすれば前に進むし、後ろに下がろうとすれば下がる。上に昇ったり下に降りたりもできるし、向きも変えようとすれば変えられる。
 なるほど、アンネの説明のとおりか。
 ズームもできるかなと思ったけど、近くに寄ろうとしたら体が動いたので、どうやらそういうやり方ではないらしい。まあ、それはおいおいできるようになればいい。
 魔女は使い魔のカラスを飛ばして視覚を共有することで、自らは動くことなく外の様子を探ったりできるっていうのを文献なんかでよく見かけるけど、ちょうどそういう感じだろう。
 個人の感想で言えば完全に幽体離脱なんだけども。

 さておき、『目』だけとはいえ、自由に動き回れるのだから、あたりを見渡してみるのがいいだろう。何はなくとも、推測が外れていないことを確認しなければいけない。

 森の上空高くまで昇ってから見下ろすと、結構な広さの森だと分かる。上空から地形を見下ろすなんて経験 Minecraft くらいでしか味わったことがないので、距離感がまるで分からない。ただ、歩いて数時間とかそういうレベルではないだろう。
 森の外はどうなっているだろうか。
 集落があればいいなと思ったら、森の外には小麦畑が広がっていて、ぽつりぽつりと村のようなものが点在するのが見える。
 寄ってみると、空堀と木柵を周囲に巡らせ、その内側に建物を建てる、環濠集落だった。
 あきらかに防衛を意識した作りなので、これまでに外敵からの攻撃を受けてきたか、あるいは今なお外敵の攻撃に晒されているか、そのどちらかだろう。
 にしても、集落の規模の割に、耕地面積が広すぎる。
 こんなにたくさんは食べる必要がないというか、逆にこれだけの面積の畑を耕せるのなら、もっとたくさん人が住んでいないとおかしい。
 自分たちで消費しないならなおさらそうだ。
 交易がさかんなら、それだけ発展しているはずだからだ。
 ということは、ここは衛星集落だろう。衛星というからには、つまり主星にあたる集落があるんだが、これだけの農地があるということは、村ではなく、街。
 そして村が防壁を持つのなら、同じように防壁に囲まれているだろうから、街だ。

 はたして、それは小麦畑を超えたところにあった。
 街ではなかったけれども。
 それなりの規模でそれなりの文化水準の定住集落、と言ったか。

 それを人は、都市と呼ぶ。


 視点を動かすのは簡単だったけれども、実際に視た場所まで歩いていくのは大変な労苦であった。何しろ、いくら死んだら空中回廊に戻されるといったところで、感覚は生身のときと変わらないのだから、歩けば疲れるし、空腹にもなる。
 適当に歩いて、空中回廊へ帰り、少し休んでから(帰りのをまだ上手く作れないので、転移酔いしてしまうのだ)、食事を摂る。
 空中回廊にいるときの体は、意識体で実態はない、ということのはずなんだけど、ものを食べたりできるし、何か食べれば食欲が満たされる。しかし、空中回廊で時間感覚を操作したときには、時間が経過しているのにもかかわらず、空腹になったり、眠くなったりということはなかった。意味がよく分からなかったのでアンネに聞いたら、
 
では生理的欲求は非常に長いスパンで喚起されますから、少し時間を進めたくらいでは食欲や睡眠欲を感じることはほとんどありません」

 ということだった。
 どうしてそうなるのかはよく分からない。
 意識体を構成する情報は意識だ。その意識が意識体になってからもあるがままに存在するのなら、生理的欲求が生じるのが意識にとって自然な状態であるはず。
 そうすると、一切生理的欲求が発生しないとなると、意識にとって不都合があるかもしれない。だから、意識体の調整という意味があるのではないか——。
 と、アンネは考えているらしい。
 にしても、生理的欲求、か。
 ひょっとして、トイレが行きたい状態で空中回廊に戻ってくると、やっぱり排泄行為が必要になるんだろうか。

「トイレもありますよ」

 やっぱり排泄行為が必要になるんだ。
 でも懸念はないらしい。
 よかった。

 ともかく、そうこうして森を抜けるのに二日、森を出てから二日歩いて小麦畑に入り、そこから半日でようやく都市の城壁が見えてきた。
 一度遠見で見ているので、別段感動はない。
 やっと着いたという達成感だけだ。

 さて、さすがに現代地球製の服を着て歩き回るわけにはいかなかったので、森を抜けたあたりから、異世界風の格好をしている。
 羊毛のチュニックに麻のズボン。ズボンは裾がだぶつくので、革のゲートルを巻いてある。
 これは空中回廊に戻ったときにアンネに頼んで用意してもらった。
 例えば、みんな制服着てるのに自分だけがポロシャツジーンズなんて格好で学校に行ったらさぞ居心地が悪いだろうと思う。そういう感じだ。
 悪目立ちするし、悪目立ちすれば当然それだけトラブルに巻き込まれやすくなる。
 今の目的は、神になってこの世界の人々を導くことだ。
 つまり、まずは神にならなければいけない。
 ただの人間である俺が神になるための方法は二種類あると思っていて、ひとつはとにかく目立って強い印象を植え付けて自分が神であることをひたすらにアピールする。
 もうひとつはとにかく石を投げられないように目立たないように群衆に紛れて身を潜ませて様子を見る。神であることは、一部の人間だけに伝えていくことになるだろう。
 前者を選ぶほど冒険心はないので、俺は後者を選んだ。
 とはいっても実際にこの世界の住人がどういう素材でどういう作りの服を着ているのかを確かめたわけではないので、この格好で充分かどうかはわからない。
 中世ヨーロッパの、ゲルマン民族あたりがちょうどそういう素材のそういう格好をしていたらしいから、それを選んだってだけだし。
 異民族風くらいに収まってくれることを期待しよう。

 で、なんでアンネならどうにかしてくれそうだって思ったかというと、アンネは地球に来るときに地球人の格好をしていたのだ。
 ……まあ、空中回廊に来てからもずっと同じ格好をしているので、実際のところアンネの世界ではふつうどういう服を着ているのか俺はまるで知らないのだけれど。
 もちろん偶然地球人と同じ服飾文化だったという可能性がないわけでもなかったんだけど、結論を言えばを出るときに地球風の格好に設定してやってきたということなので、やはりそういう方法はあるというわけだ。
 やり方を聞いたら「に入るときにを渡すようにすれば、ある程度はから出て身体を具現化するときにどおりの外見に」云々ということだった。
 当然のように新しいタームが出てきたけど、ふつうはそういうの使わないように説明したほうがいいからね?
 まあ意味のある言葉で説明してくれるだけマシなんだけども。
 いらないこといってまた擬音だらけの説明をされるはめになっても困る。

 異世界風の格好をしてめでたしめでたし、とはいかなかった。
 この服装、とにかく動きづらい。
 まず、麻のズボン、肌触りがザリザリする。
 ザリガニの殻かって感じだ。
 ……。
 ……というわけで歩くと擦れて痛い。
 羊毛のチュニックのほうはとにかくチクチクする。
 チュニックじゃのうてチクチックにするべき。
 ……。
 ……というわけで、やっぱり歩くと擦れて痛い。
 あと、チュニックもズボンも伸縮性がないのでそもそも動きづらいし、ズボンの裾がだぶついて歩きにくいのでって巻いたゲートルも、足首の動きを阻害する感じだし、ムカシニンゲン族、かなり不便な衣服で生活してたんだなあということが伺える。
 ただ、ここで一つ言いたい。
 見た目だけ再現すればいいのであって、素材は快適なものにしてもよかったのでは??

 ということを、世界間通信で訴えかけたが、無視された。
 ひどい話である。

 何はともあれ、都市に辿り着いた。
 疲れた。
 一度空中回廊に帰ってゆっくり休みたい。
 いや、むしろに帰ってゆっくり Civ Ⅳ がやりたい。
 カップヌードルを召し上がりたい。
 飽きるくらい惰眠を貪りたい。

 そんな欲求が次から次に湧き起こるが、それを抑えて、俺は都市の中に入る。
 入ろうと、する。

「そこのお前! 止まれ!」
「えっ、あっ。はい」

 門で衛兵に止められた。
 ふむ。
 どうやら、そんなにすんなりとはいかないらしい。

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