魔女。
異世界から来た愛くるしい使い魔から魔法の力を授かって、秘密の呪文を唱えて変身、事件をかわいく解決してしまうのは。
それは魔法少女だ。
休日の朝にやっている魔法少女アニメを見ると、深夜枠アニメで魔女役をやっていた声優がヒロインの声を当ててたりして、「昼は魔法少女、夜は魔女か~」とかしみじみ思ったりする。
ん……「昼は魔法少女、夜は魔女」ってちょっとえっちっぽいな?
よさがある。
『トールさま、現実逃避はそれくらいで』
そうだった。
最近は魔法少女じゃなくてアイドルブームだ。
『トールさま』
ん……魔法少女アイドルっていいな?
よさがある。
『トールさま。気持ち悪いです。現実逃避はそれくらいで、って二回も言わせないでください。気持ち悪いです』
途中途中で気持ち悪いって挟むのやめてくれ!
現実逃避については反省するから!
『あと、魔法少女のアイドルものってもうありませんでしたか。確か、クリィミー、ええと』
ま、魔法の天使!
確かに魔法少女のアイドルだ。
ていうかちょっと待ってそれ俺が生まれるより十年以上前にやってたアニメだしアンネ一体何歳なん……ああ、寿命が一億年あるんだった。
『わたしの年齢の話はやめましょう? ね?』
なんだかよくない気配を感じたので、俺は口をつぐむ。
最初からしゃべってないけどね。
『それより、これから魔女に会いに行くんですよね?』
そうだ。
昨夜、酒場の主人に『あの酒』を作ったのが『魔女』だと聞いて、俺はぜひその『魔女』に会わなければと思った。
酒場の主人いわく、『魔女』はニルシュヴァールの東に広がるワレシュティの森に住んでいるらしい。
ワレシュティの森は、最初に降り立ったあの森だ。門で飛べる。
その翌朝、つまり今朝、門を使って空中回廊を経由して森の入口まで転移して、猟師が使う小道に入る。そこから『遠見』で森の中を探索。
ほどなく森小屋を発見したので、そこに向かって歩いているところだ。
森の入口からそんなに距離はなかったと思うけれど、森の中にいると方向感覚が狂いそうになる。
迷子になると困るので、その都度『遠見』で現在地を確認しながら進むんだけど、これがとても退屈なのだ。
現実逃避のひとつやふたつ、大目に見てほしい。
『水を差すようでなんですが、トールさまが考えているような「魔女」はいないと思いますよ』
まあ、そうだよね。
それは分かる。
魔女と言ったら鉤鼻で三角帽子かぶってて大鍋に入った怪しげな液体をかき混ぜてて「イーッヒッヒ」って笑う老婆だよね。
俺が好きなのは魔女っ娘の方だ。
『トールさま……』
アンネが残念なため息をもらす。「残念そうな」ではなく「残念な」だ。
残念なのは俺である。
いや俺は残念じゃない。
魔女っ娘がいないのは残念だけれども。
魔女も魔女っ娘もいない。
それは分かる。
それは偶像だ。
今日の魔女の偶像がどういうふうに成立したのか詳しいことはよく分からないけれど、後世の絵画などによってイメージが形作られたんじゃないかと想像する。
鉤鼻なんていかにも悪魔的な風貌だし、服が黒いのもそれが不吉な色だからだ。
けれどもそんな魔女はおそらくどこにもいなかった。
これから向かう小屋に住んでいるのは、魔女ではない。
小屋の様子からして木こりでもないとは思うけど、猟師とか野草摘みとか、多分そういう人が住んでいる。森で仕事をする人間が森に住む。彼らは人里を離れて、世捨て人のように暮らしている、ように思われている。
中世ヨーロッパでは、そういう人のことを魔女と呼んだのだ。
それが酒場の主人の言う『魔女』かどうかは分からない。
けれども、森の中には森の中のコミュニティがある。
『外れ』だったら情報収集すればいい。
森の外で情報収集をしなかったのは、ひょっとすると森の外と中とであんまり仲がよくない可能性があるからだ。
交流はあるみたいだけども、安心はしないほうがいい。
酒場の主人が『誰にも言うなよ』と声を潜めたのには、それなりの理由があるはずだ。
ともかくまずは森の中で、人に会う。
もっとも最初から『当たり』を引けるなんて思っていないから、地道な感じになるだろう。
気が遠くなる。
「ちょっとくらい現実逃避してもいいじゃん?」となる。
無理からぬことよ。
『でも現実逃避はほどほどにしてくださいね。気持ち悪いです』
気持ち悪いって言うのはやめよ? ね?
とかなんとか、しょうもないやりとりをしながら、森小屋への道を進んで。
やがて辿り着いた。
ドアノッカーを鳴らす。
「魔女じゃん」
彼女を見て開口一番、思わずの一言である。
小屋から出てきたのは、どこからどう見ても魔女だった。
目深にかぶった三角帽子に、袖も裾も長く全身を覆う真っ黒なローブに。
薄緑がかったブロンドの若草みたいにふわふわな髪を、左右二つに分けておさげにしている。
こちらを見上げる両の瞳はつややかな飴色で、まるで琥珀のよう。
頭の位置が低いのは腰が曲がっているのではなく単純に小柄で背が低いからだ。
練れば練るほど色が変わってイッヒッヒの婆さんではない。
魔女っ娘だ。
『魔女っ娘ですね』
アンネのお墨付きも貰った。
まごうことなき魔女っ娘だ。
よく見ると、髪の隙間からちょこんと尖った耳が飛び出しているのに気付いた。
エルフ耳……というとあの極端に細くて長いやつを想像するけど、ああいうんじゃなくてもっと控えめな感じ。
長耳でなくただの尖り耳だ。
悪魔耳か。
魔女っ娘で悪魔っ娘だ。
「あの」
はっ。
いけない。現実逃避していた。
「わ、わたしに何か御用ですか?」
彼女は警戒心のこもった眼差しをこちらに向ける。
よく考えなくても、今の俺は大変怪しい。
『トールさま、あんまりはしゃぐと気味悪が……怖がられますよ』
は、はしゃいでないし!
あといま気味悪いって言おうとしたよね?
ていうかもう怖がられてるよねこれ。
目の前の小柄な魔女は、腕を自分の胸の前に抱き寄せるようにして身を縮こませて、じり、とわずかに後ずさる。
超怯えていた。肉食獣を前にした小動物だった。
俺、草食系だし無農薬だから安心安全人畜無害なのに。
怯えられて俺もまためちゃくちゃ混乱しているのだ。
「ええと、その」
『それ以上近づかないでください官憲に突き出しますよ!』
ヒッ!?
びくりと身体が硬直する。
って、言ったのアンネじゃねえか!
びっくりしたじゃねえかふざけんな!
ていうかまだ近づいてねえよ!
「あの、本当に何なんですか?」
ほら、どんどん警戒心が強くなってる!
「あ、いや、えっと、その……」
ヤバイ。不信感も強まっている。
このままだと本当に官憲を呼ばれる事案に!
「そ、そうだ、お酒」
「お酒?」
街で飲んだお酒の味が気になって、作った人のことを聞いたら森に住んでるっていうから、会いたくて、森に住んでる人に聞いたら知ってるかと思ってきてみたんだけど。
これだ。
「ま、あっ、会いに来ました!」
「そっそれ以上近寄らないでください!」
ワアアアアアアアア間違えたアアアアアアアアア!
「ちっ違うんです!」
「何が違うんですか官憲を呼びますよ!」
「違うんですお酒なんです!」
「お酒飲んでたら許されると思ってるんですか官憲呼びますよ!」
ヤバイ。
このままだと本当に官憲に捕まって牢屋ライフだ。
もちろん門で帰れるしそんなにヤバくない(でもヤバイ)。
どうする。考えろ。考えろ。
そうだ。
お酒だ。
お酒を褒めるんだ!
この魔女っ娘がお酒を作った本人だとすれば、自分の作ったものを褒められたらうれしいに違いない!
褒め殺しだ!
「そ、そう、お酒作った人! お酒作った人がこの森にいるって聞いて! すっごくおいしいお酒だったから、会って話を聞こうと思って!」
「え?」
見る見る表情が変わって、
「な、なんだ。そういうことだったんですね。それなら早く言ってくださいよ」
めっちゃ嬉しそうな顔で言う。
にへらって感じで笑っている。
さっきまでの警戒が嘘のよぅだ。
ひょっとしてチョロい……?
チョロいよね?
あれだよね、ほら、世に言うあれ。
チョロイン。
この魔女っ娘、チョロインじゃん!
という内心に気付くこともなく、彼女は完全に警戒を解いたようだった。
「でも、どこで私が作ったって聞いたんです? 誰にも言わないでって言ってあるのに……」
と首をかしげるが、それ以上深く考えずに、
「まあ、いいです。立ち話もなんですから、中へどうぞ」
俺を家の中へを招き入れる。
「いいの?」
「何がです?」
さっきまであんなに警戒してたのに、ずいぶんすんなり家に入れるよね、ってことなんだけど、それを言うのは藪蛇な気がしたので、言葉を飲み込んだ。
でも心の中ではもっと警戒しろよって思ってるぞ。
「それじゃ、お邪魔します」
思うだけなんだけどね。
なに、同意があるなら気にすることはない。
だって、同意があるから、合法だ。合法 Go Home(誤訳)だ。
「そうですか、あの酒場のおじさんが……内緒って言ってあったのに」
事情を聞いた魔女は、口を尖らせてそんなことを言う。
座るように促されて、椅子に腰掛ける。
「名前聞いてませんでしたね」
「トールです。トール・ヤガーシ」
『ヤガーシ……また適当な偽名ですね』
うるさい。こういうのは適当でいいんだよ。
日本語を変に英訳したりするとかえって妙な感じになっちゃうぞ。
ストラトオーカーとか草生えちゃうでしょ。
『ストラトオーカー……かっこいい……』
えっ、これかっこいいの……?
いや、あのノート見て俺を神にしようって思ったくらいだからひょっとするとそういうセンスなのかもしれない。でも俺はやだぞ、そんな名前。
「トールさん、ですか。それは家名ですか?」
「家名はヤガーシのほうで、トールのほうが名です」
「なるほど……それではヤガーシさんとお呼びしたほうがいいでしょうか」
「いえ、トールでいいですよ」
「分かりました。わたしはシャルティレーエトです。貴族ではないので、家名はありません。トールさんは、貴族の方だったのですね、先程は失礼なことをしてしまって申しわけないです」
「いや、いいよいいよ。貴族っていっても、家を追い出されたようなものだし」
『トールさまって、貴族だったんですか?』
もちろん親は普通のサラリーマンと主婦兼パートであとは妹がいるくらいの平凡な家庭であって名家の出とかそういうのではないけど。
あと追い出されたわけではなくて進学にあたっては自分から一人暮らしを申し出たんだけど。
方便ってやつだ。
『まあそうですよね。ずっと見てきたから知ってます』
知ってて聞くのやめようね。再認識してみると平凡な一般市民なのに自称貴族なのちょっと悲しいなって気付いちゃったからね。自分の家庭環境に不満はないけども。
それにしても、シャルティレーエト。呼びにくそう。
「シャルティレー……ええと、シャルさんって呼んでもいいですか?」
「え、あっ、はい、大丈夫です。あ、あと、もっとくだけた話し方でも結構ですよ」
「そう? じゃあ、シャルもそうしてくれるとうれしい、かな」
「いいんですか? 貴族の方にぞんざいな口調で……」
首を振ってその続きを制する。
「家を追い出されたから、貴族じゃないと思ってくれていいよ。ただのトールだ」
「あ、はい……じゃなかった、うん。トールさん」
はにかみながら俺の名前を呼んでくれる。
そして、
「でも、たぶんトールさんのほうが年上だから、ちょっとだけ丁寧めにしますね」
なんて言う。
よさがある。
『なんですかこの空気』
実にいい感じだよね。
『トールさまって、女遊びお上手だったりしますか?』
とんでもない。彼女いない歴イコール年齢だぞ。
ところでこないだ間違えて彼女イコール年齢って言っちゃったことがあるんだけど、年齢が彼女です!ってどういうことだよ。哲学的すぎるだろその恋人。
『ちなみにわたしの場合だと』
いや言わなくていいからね。
聞かないほうがたぶんいいやつだ。
だいたい年齢の話はやめよう?ってアンネが言ったんじゃないか!
『そうですね。ですから、話題を振って乗ってきたら、ひどかったですよ』
ひどいっていうのは、俺のことひどい人だなっていう意味?
それともひどい目にあわせてたぞっていう意味?
『どっちでしょうね、ふふっ』
ふふじゃねえよ怖いよ……。
さておき、目の前に座るシャルティレーエト女史ことシャルなんだけど、ちょっとそわそわした様子だ。
俺もちょっとそわそわしている。
「で、ええと、そうだ。お酒」
「あ、そうでしたね」
やっと酒の話ができる。
「でも、レシピだったら、お話できません。ごめんなさい」
「ああ、いや」
それはそうだろうなと思っていた。
特に法衣を着た坊主には言うな、というのは、つまり宗教がらみで面倒なことがあるからだ。
レシピを聞けないのは分かっていた。
ただ、聞く必要もなかったんだけども。
「何が入ってるのかは、だいたいわかるよ」
「えっ?」
「度の強い蒸留酒に、はちみつと、香草……たぶん薬草かな。疲労回復とかに効果があるやつ。それを漬け込んで、熟成させると……霊薬になる」
あってる?
と。
「な、どうして……」
驚きを隠せないと言った顔で、言葉を失うシャル。
ゆうべ酒場で飲んだのは、いわゆる薬草系リキュールだ。
飲んだことあるから分かる。
……いや、嘘! 嘘だよ! 飲んだことない! ちょっと味見しただけ!
『トールさま……』
ノーカン! ノーカン!
「なんで、ですか。それ、誰に聞いたんですか?」
シャルの顔には警戒の色が戻ってきている。
俺は首を振ると、安心させるように、できるだけゆっくり言う。
「誰に聞いたわけでもなくて、俺の故郷にもそういうのがあったから知ってたってだけだよ。それに、詳しい材料まで分かるわけじゃないし、漬け込んだり蒸留させたり、熟成させたり……そういう工程も正確なことまでは分からない」
「お、脅したり、しないんですか?」
「脅す? まさか」
「そうですか……それなら、いいです」
シャルはほっと安堵の息をもらし、目に見えて分かるほど表情が和らぐ。
でも、このやりとりでだいたい分かってしまった。
もうすこし警戒心を持ったほうがいいんじゃないかと、俺のほうが不安になってしまった。
このレシピ、バレるとまずいのだ。
教会か修道会か何かで、同じように薬草リキュールを作っているとする。
それを霊薬と称して、病にかかったり身体が弱かったりという貴族に売る。
きっと莫大な利益を生むことだろう。
するとここにある魔女製の霊薬は、教会ないし修道会の既得権益を大いに脅かす存在になる。
まあでも、俺にはあんまり関係ない話だ。
そんなことよりも、もっと重要な事がある。
「でも、それじゃどうして、お酒のことを聞こうって思ったんですか?」
「どうやってこのお酒を思いついたのか、それが気になったんだ」
「どうやって思いついたか、ですか」
「そう」
「べつに不思議なことじゃないです。体調を崩して寝込んだら、お母さんが蜂蜜とシナモンをお湯に溶いて飲ませてくれたんですよ。そうすると、身体がすごくぽかぽかになるんです」
なるほど、蜂蜜湯か。
でも、はちみつって結構貴重品じゃないのか?
と思ったけど、むかしから蜂蜜酒なんかはよく飲まれていたらしいし、そうでもないのかな。
あと、いまシナモンって言ったけど、それ、酒にシナモン入ってますって言ってるのと一緒だからね。無用心だなあ……。
『それだけトールさまのことを信用しているのでしょう。女ったらしめ』
ちょっ、誤解も甚だしいでしょ最後の。
「つまり、その蜂蜜湯と同じことをお酒でやったら、ってこと?」
「はい。最初は、蒸留酒って苦いし辛いからおいしくないなって思って、蜂蜜入れて飲んだらおいしいかも、くらいだったんですけど」
そこから、蜂蜜湯のことを思い出して。薬酒になるんじゃないかな、そう思って作ったのがはじまりなんです。わたし、薬の調合で生計立てていましたから。高価な薬が作れれば、お金になるな、って思って。
そう言って、シャルは苦笑いを浮かべる。
あんまり立派な理由じゃないですよね、と。
「最初は飲みやすいお酒作りだったんだ」
「飲みやすかったら、みんなも飲みますよね」
「みんなに飲んでほしかったの?」
「みんなが飲んでくれたら、それだけ売れますよね。生きるにはお金がかかりますから」
現実的な理由だ。
彼女は別に人助けのために、飲みやすい薬酒を作ったわけじゃない。
飲みやすい酒を作って金を稼いでいたら、それが薬酒にできるって気付いただけだった、ということだろうか。
そういえば、中世の錬金術士についてよく言われるのは、彼らは実際に卑金属を金に変えたりはできなかったが、卑金属から金を得る技術に長けていた、という話で、錬金術というのは金儲けのための手品みたいなものだった、という説。
ひょっとすると蒸留酒も、作るのが難しいのを逆手に取って、貴重な薬酒として売ったら金になるんじゃないか、という発想に由来するのかもしれない。
本当のところは分からないけれども。
でも、確信を得られた。
彼女は薬師で、魔女で、中世ヨーロッパでいう錬金術師だ。
「じゃあ、その魔女の格好も、ハクをつけるためなのかな」
神秘的な服装をしていれば、神秘的な薬酒の信憑性が増す。
「え? ああ、これですか」
が、シャルは首を振る。
どうも違うらしい。
「これは、わたしたちの種族に伝わる伝統的な服装ですよ」
「種族?」
「トールさん、会ってすぐに言ったじゃないですか」
魔女じゃん、って。
「わたし、魔女ですから」
そう言って、尖った耳を撫でてみせた。
ワレシュティの森に住む薬師シャルティレーエトことシャルは、リアル魔女だった。