1.
領主の娘とパン
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まぼろし国の食卓より

16. 取引

 リリーの抗議に、ぼくはしれっと答える。

「一番安全そうなところを選んだんだけど?」

 愛想がいいところっていうのは、逆に手強いんだよね。
〈わたし〉が長年った経験と勘がそう言ってる。

 けれどもリリーはもちろん納得していない。

「まあ、いいから見てて……」

 不安そうなリリーをよそに、ぼくは店主に声をかける。

「こんにちはおじさん、ここは薬草を取り扱ってるお店で合ってますか?」
「……見りゃ分かんだろ」

 低い声が返ってくる。とてもおっかない。

「じゃあ、これを買い取ってもらいたいんですけど」
「マーセンスか……ふん、摘んだのは昨日か? だったら全部で一枚だな」
「多少飛んでいるとはいえ、特に香気のよいものです。今朝摘んだものにも劣らないでしょう。二枚半で」
「朝摘みの香草に二枚半も出さねえよ。どうせ売れる頃には香りが飛ぶ。一枚半だ」
「二枚で」
「ふっかけるなら一枚にするぞ」
「わかりました。一枚半で」

 店主は無言で一枚と、一枚を差し出す。
 受け取って、マーセンスの束を渡す。
 商談成立。
 ちなみに、一枚は二枚分。
 ふつうはを、補助貨幣としてが使われる。
 実のところ、この量のマーセンスなら一枚半が相場だ。安く仕入れたほうが利益が上がるから、店主は一枚とか言ってきたけれど、実はこれでも良心的な方だ。わざわざ昨日摘んだものだろうって指摘してくるところも含めて。
 だからこそ、油断してはいけない。
 リリーは呆気に取られてぼくと店主を交互に見ている。
 構わずに、ぼくは次の商談を切り出すことにした。

「おじさん、見ただけでわかるなんてさすがですね」
「ああ? ふざけたこと言うならその返してもらうぞ」
「それは困る。ところでこのお店は香草以外にもキノコも扱ってるみたいですね」
「まあな。薬になりゃなんでも売る」
「気付いてますよね」
「何のことだ」
「気付いてないなら、いいんですけど。向こうのお姉さんの方が、高く買い取ってくれるかもしれない」
「まあ待て……そっちの袋も売りに来たんだろ」

 店主が指し示したのは、クロユリタケが入った袋だ。
 クロユリタケは希少だし、香りが強い。
 食材としても珍重されているし、薬効からも価値が高い。

 最初に甘い値段を提示したり、目利きできるところを見せたり、それでぼくが油断するなら、店主は容赦なくクロユリタケを買い叩いたと思う。
 香草を多少高めに買ったって、クロユリタケを買い叩けるならまったく問題にならないくらい利益が出せる。
 強面で近寄りがたい雰囲気を出して相手をさせておいて、甘めの対応で油断を誘う。けど、分かってしまえば、見た目を怖がる必要はない。

「何が入ってると思います?」
「クロユリタケだろ。もったいぶるな」
「なるほど。おじさんは相場通りの取引をしてくれると思うので、おじさんには見せてあげますね」

 袋の口を開いて、店主のほうへ向ける。

「乾燥前のクロユリタケだな……これも昨日採ったばかりか。昨日売りに来ればもっと高く売れたんじゃないのか」
「おじさんは親切ですねえ」
「まあ、俺なら昨日だろうが今日だろうが同じ値段で買うがな」
「そうでしょう」

 どれだけ新鮮なクロユリタケでも、すぐには売れない。
 買うほうも、買ってすぐに全部食べてしまうわけでもない。
 ほとんどは乾燥させて保存する。乾燥させて、少しずつ使う。
 それだけ貴重なものだから、新鮮であることにそれほど価値はない。
 特にこんな辺境じゃあね。
 高く買ってくれるのは、他の都市に持っていって売ってくれる行商人だ。
 行商人が買うなら、それこそ乾燥しているものでも新鮮なものでも変わらない……というより、むしろ適切に処理して、香りを損ねないまま乾燥させたもののほうが高く買ってくれる。
 新鮮なクロユリタケを買って、移動中に腐らせました、では話にならないのだ。

「……三枚でどうだ」
「話にならないですね。今回は縁が」
「待て、悪かった。一枚」
「ふざけてるんですか?」
「ぐっ……二枚」
「三枚」
「わかった、二枚半だ畜生」
「はい、それが相場だと思います。二枚半で。あ、そうだ。できればでもらえるとありがたいです」

 五枚で一枚、四枚で一枚。
 つまり、十枚で一枚だ。
 それなりに高額な取引ではが主に使われ、はその補助貨幣という扱いになる。
 店主から二十五枚を受け取って、クロユリタケの袋を渡す。しっかりとその重さを確かめた店主は、がっくりとれ、ため息混じりに言う。

「坊主……お前何者だ? 貴族の従者にしちゃ、やけに手慣れてやしないか?」

 牧畜の民にとって、こうして市場で採集品を売るのも仕事の一部だけれども、誰にでも適当に売ればいいわけではない、ということを〈ぼく〉は師匠に学んでいる。もちろん、〈わたし〉が社会で学んだことも活かされているけれども。
 成人前後の子供であっても、牧畜の民の場合は話が別。
 相場が基準の商品に、いきなりで、というのはいくらなんでも舐めすぎだ。子供だと思って甘く見過ぎなんじゃないか。
 もっとも、店主の言うとおり、いまのぼくの見た目は牧畜の民には見えないだろうけど。リリーはどう見ても貴族のお嬢様だし、ぼくも従者にふさわしいくらいの身なりをしている。
 どこかの令嬢とその使用人。
 実際に見た目通りだ。でも、中身が見た目通りとは限らない。

「人を外見で判断しちゃいけないって、おじさんがいちばんよくわかってるんじゃないですか?」
「そりゃそうだ」
「それに、相場通りの取引をしたんですから、おじさんは何にも損をしてないわけです。ぼくも希望通りの対価を得られて、誰も損をしていません。よい取引でした。ありがとうございます」
「お、おう……まあ、もっと高く売れたろうに」
「そうですね。でも適正価格というのがありますから」
「変わったやつだ」

 取引を終え、店から離れる。
 あわててリリーがついてくる。

「ト、トーマ、さっきのは何! いったい何をやったの? 気付いたら、売り終わってるし、な、何だったの、あれは」
「牧畜の民の仕事の一部、かな」
「マウシカやラクを連れて歩くのが仕事じゃなくて?」
「割となんでもするよ。キノコも香草もただ採ってるわけじゃなくて、ちゃんと利益が出るように売らないと意味がない。けっこう実益主義なんだ、牧畜の民は」

 特に師匠はそうだった。
 牧畜の民、危険な獣や怪物を追い払ったりもするし、それに比べると人間同士の取引は、利害の話し合いだから、やりやすいと思う。

「それより、ほら。こんなにいっぱい。これだけあったら一通りほしいものが買えそうだし、よかったね」
「ああもう。本当、トーマといると退屈しないわね」

 リリーは「確かに、わたしがお金を出す必要なんてなかったみたいね」なんて小さく呟いて、ぼくの後をついてくる。

 さあ、買うぞー、食材を買って、帰ったら試食しまくるぞー。

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