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領主の娘とパン
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まぼろし国の食卓より

36. 水あめづくり

 さて、水あめを作っていく。

「まずはカブイモをすりおろします。ここにさっきの残りのカブイモがあるんですが、ちょっと大きくてこれをまるごとすりおろすのは大変なので、まずはざっくりと切っていきます」

 石焼きにせずに残しておいたカブイモを切り分ける。

「これを、はい」 

 クーシェル、ナーサラ、リリーにそれぞれ手渡す。
 きょとんとした顔で受け取るリリーに、にっこり笑って伝える。

「それではがんばってすりおろしましょう」


「おいしいものを食べさせてあげるよって言って連れてきて、主人をこき使おうなんて大した従者よね」

 リリーが疲れた声を上げる。

「ごめんごめん。でも、ひとりだとさすがに大変だったから」
「まあ、いいわ。さっき食べさせたもらった分くらいはね」

 すりおろしたカブイモをテラコッタの鍋に入れ、火にかける。熱くなりすぎないように、鍋と熱源の距離で火力を調節する。たぶんこれくらいが弱火、かな。

「粥状になるまで弱い火で煮ます」

 ここであまり強い火にかけると失敗する。ぜったいに沸騰させてはいけない。

「さてお待ちかね。クーシェルさんが疑問に感じている、石焼きにするとカブイモがどうして甘くなるのか、ですけど」
「そう、それだ。忘れてるのかと思ったぞ」
「まず、石焼きにするとカブイモの表面だけが急激に焼けて、内側のほうにはじっくりと熱が伝わる、ということまで話しました」

「これの原理はともかく」と断って、続ける。

「カブイモの中には、カブイモを甘くするものが含まれています。これは、常温では働かず、ある程度の温かさが必要です。温めればいいというわけでもなくて、沸騰するほど熱くなると働かなくなります」

 甘くするもの、それは糖化酵素の β-アミラーゼだ。麦芽などに含まれる。伝統的な水あめは麦芽と炊いたもち米で作る。麦芽の β-アミラーゼがもち米のでんぷんを糖化することで、水あめになる。主に麦芽に含まれるので、β-アミラーゼによって作られる糖類を麦芽糖と呼ぶ。
 麦芽以外には、発芽玄米、ダイコン、サツマイモなどがこの β-アミラーゼを持つ。サツマイモの β-アミラーゼはでんぷんが糊化する六十度台で活発に働く。石焼きにするとじっくり内側に伝わった熱で糊化されたでんぷんを、β-アミラーぜがせっせと麦芽糖へと変えていく。
 こうして石焼きいもが甘くなるというわけ。
 実際に試してみるまで、カブイモで出来るとは思ってなかったけれど。

「なるほど、それで石焼きにするのか。石焼きだとじっくり温まる」
「はい。時間をかけて温めることで、カブイモの中にある甘くするものがしっかりと働くわけです」
「ちょっといいかしら」

 そこでナーサラが疑問を口にする。

「その甘くする何かは、目には見えないわよね? どうやって気付いたの?」
「ええと、試していたら偶然……でしょうか。バニッジの生地みたいに、カブイモも醗酵させたらいい感じに生地にならないかな、って」

 これは実のところ嘘である。ぼくは〈わたし〉の知識から、カブイモに糖化酵素が含まれることをなかば確信した上で実験している。けれど、〈わたし〉の知識を説明しようがない以上、こういうふうにしか答えることができない。騙すみたいでちょっと気が引ける。ごめんねナーサラさん。
 ナーサラは信じてくれたようで、なるほどと頷いている。

「とすると、お前は最初からカブイモを石焼きにしようと思ったわけじゃなく、醗酵させようとして偶然甘くなったカブイモを発見したってわけか」
「そうですね」
「それで腹を壊したんじゃねえのか?」
「あはは、そうかもしれません」

 実際にそうだったら、原因がわかってよかったねという感じになるんだけどね。
 醗酵させようとしなくても、水あめは作れる。

「笑ってる場合か。本当に大丈夫なのか?」
「今作っている水あめは醗酵させたりするわけではないので、大丈夫かと……と、そろそろいい感じに粥状になってきましたね」

 へらで混ぜると、とろりとした手応えが返ってくる。

「火から下ろして……」

 ここからが大事。

「冷めないように保温します」

 テラコッタには高い保温性があるけれど、とはいえ限界がある。木箱にわらを敷き詰めて、そこに鍋を入れ、わらを被せる。蓋をして、しばらく寝かす。

「バニッジを焼いた窯の余熱で保温するのがいちばんいいと思いますが、まあ今回はこれで」

 外で試したときはパン窯を使った。

「このまま夕方まで置いておきましょう」
「えっ」

 リリーが抗議の声を上げる。

「まだ食べられないの?」
「寝かせるのが大事なんだ」
「ふうん。わたしも早く食べてみたいな。トーマはもう食べたことあるんでしょうけど。わたしも早く食べてみたいな」

 そう言いながら、リリーは恨みがましそうな目をぼくに向ける。

「ゆ、夕方まで待ってくれたら、ぜったい後悔させない甘い水あめを食べさせてあげるから! それまでは」
「待つわよ。ええ。きっとおいしいんだろうなっていうのもわかるわ。トーマが自信を持って言うんだからそうなんでしょうね。でもね」

 ずい、と顔を寄せ、

「だからトーマはずるいって言うのよ。だって、そんなに自信たっぷりになるくらいおいしかったんでしょう? それをもうトーマは食べたことあるんだわ。わたしのいないところでね」

 そこまで言ったところでぼくから離れると、はあ、とため息をこぼす。
 それから諦めたような口調で、

「でもまあ、トーマはそうよね」

 なんて言うのだ。
 いたたまれなさが募る。
 うん。今度からはリリーを誘うようにしよう。リリーがいないときに何か試したくなっても、できるだけ我慢しよう。
 そう心に決めるのだった。


 夕方。
 木箱から鍋を取り出す。まだほんのりと温かい。

「水あめにするには、ここから麻布で絞って、しぼり汁を煮詰める必要があるんですが、この水あめの素がちゃんと出来ているかどうかを確かめてみます。上手く出来ていれば、この状態でももう甘くなっているはずなので」

 木の匙ですくう。

「はい、リリー」

 リリーに渡そうとしたところで、彼女は受け取ろうとしない。

「わたしは水あめになってからでいいわ。クーシェル。あなたが味見しなさい」
「はいはい……どれ」

 クーシェルはぼくから匙を受け取って、水あめの素を口へと運ぶ。

「石焼きにしたときよりは、甘みが薄いな」
「水分があるので、その分薄味になります」
「それからエグみがある。このままじゃ飴にしたところで雑味が強すぎるだろう」
「そのあたりも解決していきます。まずは麻布でします」

 鉄鍋に麻布をかぶせ、そこに土鍋の中身をあける。
 目が詰まるので、麻布をしぼって、水気を出していく。
 鉄鍋にしぼり汁がたまったら、これを火にかける。

「今度は煮詰めるので沸騰させても大丈夫です。アクが浮いてきたら、それも取り除きます」
「なるほどな。煮詰めて甘味を濃くし、アク取りでエグみを取り除くわけか」
「はい。というわけで、ここからはナーサラさんにリリーと一緒にアク取りするのをお願いしたいんですけど、いいですか? リリーもいいかな」
「わかったわ」「いいけど、ほんとう主人使いの荒い従者ね」
「じゃ、トーマは俺と夕食の準備だな」
「はい。それじゃ、緩めに煮詰まったところで教えてください!」

 さて、夕食の準備をしつつ、ちょっと振り返ってみよう。

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