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ドリームキャスター(demo)

 インターネットの闇に恐れながら寝付けるか不安だったが、他人の個人情報が掌握されている事実とかよく考えなくても俺には関係ないことだったのでぐっすりと眠ることができるはずだったのだが、罪悪感からか黒塗りの高級車に激突してしまう。
 意識を取り戻した俺が見たのは、古びれたアーケード筐体と、劣化で馬鹿になったレバーを握り、ボタンに指を置き、真っ暗闇を映し出す画面を見つめている俺の姿であった。
 視点がに変わる。アーケード筐体が置かれているのはおもちゃ屋の軒先らしい。看板のペンキが剥がれて、「おもち の日 」になっている。見覚えがあるような、ないような、懐かしい感じはする。
 夕方なのに電気が一切ついてなくて、店内が薄暗い。商品棚にはまばらにおもちゃの箱が積まれててなんだかさみしい。棚の一つを前に、女の子が佇んでいる。ゲーム機の箱を見ているみたいだ。かなしそうに何か言っているようだったけれども、何を言っているのかは分からない。やがてぐるぐると渦を巻いて視界が溶けて、次に目を覚ましたら自室のベッドの上だった。
 なんの夢だったのかはよくわからない。なんとなく懐かしいような気もする。なんだっけな。夢は記憶の整理というから、ひょっとすると以前こういうことがあったのかもしれない。しかし俺は思い出すことができない。
 思い出せないまま一日学校で過ごしたら、もう夢のことを思い出せなくなってしまった。
 で、放課後である。
 特別教室棟の廊下を歩く。窓の外はしとしとと雨が降る。特別教室棟は年季が入った建物だから、梅雨の時期になると埃とカビの匂いであまり快適ではない。
 目的地へと急ぐ。
「開発二部」のプレートが目に入る。
「ほしかわめぐりこ」なる人物を呼び出した部屋だ。いや、俺がその「ほしかわめぐりこ」だからではない。単に部員だからというだけのことだ。
 なぜ部員なのかというと、俺もまた、「彼女」に個人情報を掌握されている一人だからである。
 はあ。思わずため息が出る。
「ほしかわ」に同情したからではない。俺は何をやっているんだろうな、という意味のため息だった。しかしため息を付いたところで現状が変わるわけではない。
 ドアをすべらせ、開発二部の部則その一『挨拶は時間にかかわらず「おはよう」とする』にならい「おはようございまーす」の声とともに部室に入る。
「おはよ~ななじょー」
 返事は一人。
「きょうはほかのメンバーは」
「みてのとおり」
「そうですか」
 開発二部の部員は、俺を含めて四人。
 今日いないほうの二人は、中等部三年なのになぜか部員扱いになっている後輩ちゃんこと樹くるると、俺の同級生であり現在仮入部十四ヶ月目の南都繭。
 つまり、きょうはいない、というより、きょうもいない、というわけだ。
 いるほうは、俺こと七ヶ城築と、パイプ椅子に座って何やら紙にペンを走らせている、ちんちくりんの女の子——このちんちくりんこそが、「ほしかわ」の個人情報を入手し、今日ここへ来るように脅迫した張本人である「彼女」こと開発二部の部長、山野辺史緒である。
 ちなみに一年留年して在学四年目である。
 が、周知の事実なのでなんの弱みにもならない。悲しみ。
 開発二部は、名目上「ゲームを作る部」ということになっている。
 部名の由来は、とある名作ゲームを生み出したスタジオにちなむと聞いた。
 名目上というのは実際にはこの部活でゲームを作る活動をほとんどしていないからだ。部長はいつもゲームで遊んでいる。
「学校で公然とゲームで遊ぶ空間が欲しいんだけど、ゲームを作る名目なら参考資料といってゲームを遊び放題なのでは?」という、「頭が沸いてるのかな?」と思ってしまうような理屈で設立した部。それが開発二部だ。
 部長は単にゲームで遊びたいだけなのだ。
 なので開発機材なども特に設置されていない。俺は家から自分のノートパソコンを持ち込んでいる。部室に置くと部長に私有化されるので毎日持ち帰っている……。
 しかし部の設立請願の名目はちゃんと「ゲームを作る」ということになっているので、承認が降りてしまったらしい。
 部長は部の設立から二年に渡って悠々自適なゲームライフを送った。
 三年に上がるときになって進級に必要な単位を落として留年した。
 部長はアホだった。
 結局これが問題視されて「活動実態がない」のを理由に廃部しようという動きが起こった。去年のことである。
 話せば長くなるが、俺の弱みを握って俺にゲームを作らせることで活動実態があるように装うことで、廃部を回避した。作ったといっても、俺が過去に作ったゲームのリメイクであり、一から作ったわけではない。そのへんも微妙なところで、一旦廃部は保留になったはなったわけなんだけど……まあ、部長を見ていれば「この部を潰そう」と思う人間が生まれてもしょうがないような気がする。
 ほかの部からの突き上げも多分にあったろうと思う。
 今年になって、生徒会から「一学期中に部員数を満たさなければ廃部」という勧告がなされた。
 現在の部員数は四名。中等部生や仮入部扱いが部員として認められているのは謎ではあるけれど、いちおう四人として認められている。
 諌名和高校の部活動規定によれば、部活動の存続には五名の部員が必要である、とのこと。とはいえ、これを満たさないまま承認されてる部なんてたくさんあるんだけども。
 しかし規定は規定である。
 今学期中に部員数を五人にしなければ、廃部が決定する。
 夏休みまであと一ヶ月半もない。
 部の存続の危機である。
 さて。
「ほしかわさんはまだ来てないみたいですね」
「みてのとおり」
「それは?」
「入部届だよ~」
 なるほどね。
 足りない部員を、これから補充するわけだ。
 見ると名前欄に「星川巡子」と書かれている。めぐりこってそういう字なんだ。それにしても……星川? なんか見覚えがあるような気がするが……っていうか、それ部長が書いてもいいのかな……。
 今後の不安に思いを馳せていると。
 不意にドアがノックされる。
「空いてるよ~」
 部長の間延びした声で返事をする。
 おそるおそるという感じでドアが開く。
「開発二部ってここであってますか……?」


 現れたのは、ちょっと印象の薄い感じの女の子だった。
 どこにでもいそうで、それでいて、どこにもいないようにも思える。
 いや、容姿はとんでもなく整っている。
 長く伸ばした色素の薄い髪にせよ、透き通るような肌にせよ、その全てに浮世離れした雰囲気がある。人形めいた美しさがそこにはある。
 にもかかわらず、どことなく、視界の端にいたら見逃すような、存在の希薄さのようなものを感じる。
「あの、びていこつ……? のことで来たんですけど」
 思わずずっこけそうになる。
 いや、確かにそういうメールを送ったけど。送ったけどさあ。
「びていこつ?」
 不思議そうな顔で部長がこちらを見る。
 ちゃうねん、ちょっと魔が差しただけやねん……。
「あ、その、ドラ、いや、星川さん……であってる?」
 ドリームキャス子、と言おうとしたところで、露骨に嫌そうな顔をされた。そりゃそうだ。俺も同じ立場だったら嫌である。もっとも、苗字を呼ばれたときもかなり渋い表情をしていた。気持ちはわかる。
「あの、どうしてわたしの名前を……?」
 彼女の言う名前は、本名の方ではなく、たぶんハンドルネームのことを言っている。なぜ自分があの配信者だと知っているのか?と問うているのだ。それは誰かが調べたからなんだけど、あ、そうか。
「待って。それ、俺じゃない。俺じゃなくて、こっちの小さい……」
「ななじょーあとで屋上ね~」
 ヒイ!
「この大変愛くるしいお姿であらせられます我らが部長がですね、はい」
 うむ、と部長が頷く。
 星川は、要領を得ないという感じで訝しそうに眉をひそめる。
「それではわたしから説明しよう~」
「あ、はい」
「あのね~、きみのことちょっと調べさせてもらったんだけど」
「えっ」
「CH@TTERERのアカウントとかね~、ブログの過去ログとかね~」
「えっ、で、でも、私のアカウント鍵かかっ……えっ、どうやって?」
「きみがフォローしているレトロゲームハードbotね、あれ、わたしが作った」
「!?」
 うかつにbotのフォロバを受け入れてはいけない。いましめ。
 ていうかレトロゲームハードbotて。
 あっ、そうかドリームキャス子だからか。なるほどね。DreamCastね~。HNってたいていその人の個人的な何かに由来するから、言うほど匿名性ないんだよね。俺も去年にそのことに気付いていればな……。
「な、なにが目的なんですか。こんなことして、私をどうするつもりなんですか」
 乱暴するつもりなんでしょう! エロ同人みたいに!
 と、思わず言いそうになったが、そういう空気ではなかった。
「まあまあ、そう警戒せずに」
 それは無理だと思います。
「わたしがきみにやってほしいのは、ひとつだけ。この部活に入って、わたしたちと一緒に活動してほしいなってことだけなんだよ~」
「この部活……開発二部に、ですか?」
「そうそう」
 星川は部室内を見回す。
「っていうか、ここって何する部なんですか……?」
 会議用長机とパイプ椅子、雑然と積まれた段ボール箱と、あとは中身がすっかすかのスチールの本棚。それくらいである。もともと備品室でしたよ、という雰囲気の部屋であり、実際そのとおりだったりもする。
「ゲームを開発する部活だよ~」
「ああ、それで開発二部……」
 合点がいった表情になる星川。なんで「二部」なのかまでわかったように見えるけれども、ひょっとして俺が知らないだけで開発二部って有名なのか?
「きみがゆうべやったキャッスル・オブ・セブンリーグも、うちで作ったものだから」
「えっ」
 正確には俺が作ったものをほかの人に手伝ってもらってリメイクしたもの、である。
 BGMとSEは当時中等部二年のが担当し、グラフィックは部費を使って先輩が外部の人間に発注した(実際の指示や仕様の調整はぜんぶ俺に丸投げされた)。あれ、なんかこの部活で作ったとはいえないような気がしてきた。
「それじゃあこの中にあのかわいいグラフィックを書いた人が……? もしかして先輩が……?」
「いやーあれは個人のグラフィッカーに発注したものなので……」
 夢を壊すようで大変伝えにくい。
「もともとはそこにいるななじょーがグラフィックとか全部やってたんだけどね~、出来がしょぼくてね~」
 しょぼくて悪かったな。
「ななじょー……? ああ、キャッスル・オブ・セブンリーグって、そういう……」
 星川が俺に生暖かい視線を向けてくる。やめろ。そんな目で見るな。
「中二みたいなネーミングでしょ~」
 実際作った当時は中二だったんだから勘弁してくれ。


 気を取り直して。
「この部に入ってって話なのは、わかりましたけど……入ったら私の個人情報ちゃんと破棄してくれますか?」
 じっと部長の目を見据えて星川が言うと、部長は……目をそらした。
「部長」
「しょうがないにゃあ……」
 しょうがなくねえよ。ついでに俺の個人情報も破棄してくれ。
 星川はあからさまに不審そうな表情をしている。
 そりゃそうだ。信用しろというほうが無理がある。
 でも、俺は別に星川が入部することにそれほど興味がない。というか、俺が開発二部にいるのだって成り行きにすぎない。どちらかといえば、俺のような被害者をこれ以上増やしたくないまである。
 しかし入部しなければ……想像するだに恐ろしい。
 かといって、入らないとひどい目にあうから入ったほうがいい、なんて言えるか?
 星川も、どうしたものか決めあぐねているようだった。
 部長が口を開く。
「ななじょーにとっても、悪い話じゃあないんだけど」
「どういうことです」
「とりあえずPC出して」
 鞄からノートPCを取り出す。部長はどこからともなくLANケーブルを引っ張ってきて、ノートPCに繋ぐ。いつも思うんだけどこのLANケーブルどこから引いてるんだろう……。
「まあこれを見たまえよ~」
「どれどれ」
 画面に表示されているのはブラウザのウィンドウ。
 Fixivのページだ。女の子のイラストのサムネが並んでいる。へー。けっこうかわいい。どれどれユーザは……ドリームキャス子。
「あっ」
「どうしたんですか? って、わっ、わーっ!」
 星川は画面を覗き込むなり、ワーワー言いながらノートパソコンを折りたたもうとする。あの、俺の指が挟まるから、ってもう挟まってる痛い痛い!
「やめてくださいどうして私のFixivのページを見てるんですか!」
 なんとか指を引き抜く。もげるかと思った……。
「や~。うちの部ってグラフィッカー外注しなきゃいけない状況だからね~、絵が描ける人が入ってくれたら、ななじょーもゲームを心置きなく作れるじゃない?」
「それは、まあ」
「わ、私はまだ入るなんて言ってないですよ!」
「……と本人も言っておりますし、本人の意志が大事なんじゃあないかと」
「つれないね~」
 部長は不満そうに口をとがらせる。
 あれ、俺がおかしいのかな。
「こうなったら奥の手かあ……」
 ブツブツと呟きながら、部長が突然床に寝っ転がる。
 なにしてんだこの人っていうかあんまりきれいじゃないですよこの部室の床。
 などと思っていると、
「入ってくれなきゃヤダヤダ~! 入ってよ~部活に入ってよ~!」
 部長が駄々をこねだした!
「うわ、大人げねえ!」
 あんた来年成人だろ! 見た目は女児だけど!
「わたしの理想郷を守るためなの~! お願いだから入ってよ~!」
 私利私欲のためかよ! 知ってたけど!
「いっ」
 変な声が聞こえて、そちらを見ると、
「星川、さん?」
 星川が肩をわなわなと震わせていた。
「あの、星川さん……?」
 これはひょっとして。
 ヤバイやつなのでは?
 止めようと思ったが遅かった。
「いい加減にしてください!」
 星川の怒りが爆発する。
「な、なんなんですか? 私のこと勝手に調べて、よくわからない部活に無理やり入れさせようとして!」
「ちょ、ちょっと星川さん落ち着いて」
 なだめようとするが、星川は止まらない。
「私のこと、バラしたかったらバラして、笑いものにすればいいじゃない! ぜったいこんな部活になんて入らないですからっ!」
 ガラッ! ピシャッ! リノリウムに足を叩きつけるようにして、星川が走り去っていく。
 寝っ転がったままの部長が、天井を見上げてポツリという。
「あーあ」
「あーあじゃないですよ。どうするんですか。生徒会の耳に入ったら問題になって部員確保どころの話じゃ済まなくなりますよこれ……」
「そう思うんだったら」
 部長が起き上がる。
「ななじょーが説得してよ」
 どこかふてくされたふうに見える。
 思わずため息がこぼれる。
「わかりました。わかりましたよ」
 部がなくなっても俺は困らないけど、部がなくなって困った部長が何をするのかと考えると、結局俺は動かないといけなんだよなあ。
 とぼとぼと部室を後にする。と、
「ななじょ」
 背中に短く声がかけられる。
 振り向くと部長が、ちょっと困ったふうに笑っていた。
「なんでもない」
 あーあ。
 もうなんちゅうか、なにやってるんだろうな、俺は。

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