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ドリームキャスター(demo)

 幸い雨は上がっていた。
 道はベタベタで走りにくい。なので、そう遠くは行ってないだろうなと思ったら、校門の外で息を切らしている星川の姿が見えた。
 追いつきそうだなーって思ったところで星川がこっちに気付いた。
「な、なんで追いかけてくるんですか!」
 そして逃げる!
 えっ、めっちゃ走るやん! 待って、走るの待って!
 俺も! 走るの! 苦手、だから……。
 実は、俺も、校門の、ときに、すでに、息、切れ……。
 満身創痍の鬼ごっこが続く。
 いつの間にか日が傾きはじめていた。
 いつ終わるんだろうなあ、お互いの体力が尽きた頃かなあ。と思っていたが、その前に終わりがやってきた。
 パシャリ。
 水たまりで足を滑らせて、
「わっ!?」
 星川の身体が一瞬ふわりと宙に浮いたように見えた。
 バシャン。
「ちょ、だいじょうぶ!?」
 いま絶対顔から行ったけど……。
 よろよろと起き上がる。
 とっさに手をついたのか、顔は……ちょっと水がはねたような感じはあるけど、怪我はなさそうだった。よかった。
 もっとも、制服のほうは泥水で派手に汚れちゃってるんだけど。
「うう……」
 っていうかどうしよう。タオルとか持ってたらいいんだけど……。
 コンビニ行ったらタオル売ってる……よね?
 おろおろとあたりを見回す。
 コンビニはない。というか、やってる店の姿自体がまばらである。
 いわゆるシャッター街ってやつだ。
「あれ」
 ふと、看板が目につく。
 ここって。
 ペンキが薄れて「おもち の日 」になってしまっている。
「なんか見たことあるなって思ったらここだったんだ」
「なにが、ですか?」
 立ち上がって泥水まみれの制服を見下ろしながら、星川が尋ねる。
 夢に出てきたおもちゃ屋。
 思い出した。閉店した日のことを。
 そうか。ここだったんだ。
 店の軒先のほうに歩いて行く。
「この筐体でよく遊んだなーって」
 ポンポンと叩く。
 まだなくなってなかったんだな。
 電源は入ってない。それはそうだ。あの日もそう。電源は入ってなかった。電源の入らないアーケード筐体の前に立って、スティックを握って、ボタンに指を置いて。何も映し出さない画面を見ながら、身体が覚えた操作を繰り返しながら。どうしていいのかわからなくって。
 風雨にさらされてボロボロになってしまっている。
 でも、なんで外に置きっぱなしなんだろうな。
 シャッターの降りた店の姿を見ると、なんだかもの寂しい気持ちになる。
「七ヶ城さん、ここに来たことあるんですか?」
「むかしね」
 たぶん十年くらい前だったと思う。
「そう、だったんですか」
 星川はうつむいて、絞りだすように言う。
「星川さんも、ここに来たことが? ……あれ、星川さん?」
 しゃくりあげるような声。
 やがて顔を上げると、
「ここ、わたしの家なんです」
 星川の目には、涙が浮かんでいた。


 十年前、ゲームや玩具の流通というのは大きく変わった。
 ゲームやおもちゃを取り扱う家電量販店の進出やインターネット通販サイトの台頭によって。
 何が起きたかというと、町のゲーム屋やおもちゃ屋の閉店ラッシュである。
「おもちゃの星川」も、その例に漏れなかった。
「おもちゃの星川」の軒先にしゃがみこんで、星川がぽつりぽつりと喋り出す。
「あるとき、父が帰ってきて、こんなことを言ったんですよ。『父さんな、倒産しちゃったんだ』って」
 星川は苦笑交じりに言う。
 笑えねえ……。っていうか星川のセンス……親子……遺伝子……環境……こええ……。
「筐体が外に出しっぱなしなのは、『いつもあれで遊んでくれる子がいて、あれが置いてあるとまた来てくれるんじゃないか。そんな気がして動かせないんだよな』って。父がそう言ってました。七ヶ城さんのことだったのかもしれませんね」
 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺以外にもあの筐体で遊んでいたやつはいたし、俺も毎日のように通い詰めていたというほどでもない。小遣いもあんまりなかったし。でも、そうだったと思うほうが、なんかいいなという気はする。
「中ってどうなってるの?」
「見ますか?」
「いいの?」
「あの頃のことを知ってる人が見てくれたら、父も片付けようって気持ちになるかもしれません」
 引きずってるんだなあ……。
「こっちです」
 裏口……というか搬入口っていうのかな、そこから店内に入る。
 埃っぽい……かと思ったけど、そうでもない。
 っていうか、これ、マジか……。
「あのときのまんま……?」
「です」
「そうかあ」
 商品棚もそのまんま、ということになる。
 不意に、ゆうべ見た夢のことを思い出した。
「たしか、こっち」
 あった。
「これ……これかあ」
 ドリキャスの箱。経年劣化でちょっと色あせている。
「私、ちっちゃい頃は、ずっとこのドリキャスの箱見てたらしいです。覚えてはいないんですけど」
 ひょっとすると夢に出てきたの、星川だったのかもしれない。
 もっとも、夢で見たのがどんな子だったのかはもはや思い出すことができない。
 ドリームキャス子とかいうピコ動ユーザのゲーム実況をみて、記憶の奥底にあったのが引っ張りだされた……と考えるのは、ちょっと都合がいいだろうか。
 ぐるぐるマークのロゴを指でなぞりながら、星川が言う。
「でも、ドリキャスは好きなのは、当時からそうだったんだろうなって思います。いまでも好きですし」
「こんな古いハードなのに?」
「古いハードだから、です!」
 そういうもんなのか。いまから十五年以上前のハードだったと思うけど……。俺にはわからない。
 コホン、と咳払いをして、星川がこっちを向き直る。
「そんなことより、七ヶ城さん」
「なんですか星川さん」
「わたしのことを追いかけてきたってことはその……」
 そうですね。そうでした。
 はて、どういったらいいもんか。
「部長は、ああいう人だけど、本当はあんなことしないで、ふつうに頭下げてお願いしますってできれば、そのほうがいいって分かってると思う」
 星川はじっと俺の話を聞いている。
「不器用っていうか、たぶん分からないんだよね。どうやったらいいのか。やり方を知らない。って、俺も一年しか一緒にいないからはっきりとは言えないんだけど」
 自分の私利私欲のために行動するのに、他人の善意に期待したくない、っていうのも、あるかもしれないんだけど、それを言うのはやめておいた。それは俺の口からじゃなくて、部長が自分で言えるようにならないとダメだ。
「やり方を知らなかったら、聞けばいいんですよ……」
 星川は脱力したふうに、そんなことを言う。
「俺もそう思う」
 そういって俺が力なく笑うと、星川も笑った。
「で、あらためて聞くけど」
「はい」
「いっしょにゲーム作ろう」
 星川はニッコリと笑うと、
「それは、考えさせてください」
 といって、断った。
 ええー……。


 けれども翌日、結局星川は自分で入部届を書いて持ってきた。
 女子の考えることはわからん。
 女子の考えることはわからんけど、ゲーム好きの考えることはわかる。
 星川なら入るって、俺は思っていたからね、確信してたからね。不安でぜんぜん眠れなかったとか、授業中爆睡してお叱りを受けたとか、そういう事実はいっさいないからね。
 しかし……星川直筆の入部届をを見たときの部長の顔といったら。
 あー、写真にとっておいたら弱みを握ってイーブンになれるのにな~って一瞬思ったけどたぶん俺が知らないところで俺の知らない俺の弱みをたくさん握っているのが部長という人間である。下手の考え休むに似たり。
「というわけで。星川さん、入部おめでとう~。ところでなんだけど~」
「なんですか?」
 部長が携帯の画面を星川に見せながら言う。
「裏アカウントって、あるよね~」
 さすがに画面は俺からよく見えなかったが。
「……」
 星川の顔から血の気が引く音が聞こえるようだった。


 こうして、星川がめでたく(一部めでたくない事情には目を瞑る)うちの部に入ることになったわけだけれど。
「結局こうやって同じ部に入るということは、ずっと弱みを握られ続けるということですよね……」
 ため息混じりに星川が言う。
「気付いた?」
 部長と一緒の部活にいるということは、そういうことである。
「七ヶ城さんは、どうしてやめないんですか?」
 確かにこの部活にいる理由は俺にはなかった。いままではね。
「グラフィッカーを確保したからね。やっとゲームが作れる」
「私まだ一緒にゲーム作るなんて言ってないですけど」
「でもさ、自分の描いた絵が動いたらって、ちょっと想像してみてよ」
 星川はきょとんと小首をかしげ、それからぼんやりと何か考えるふうに、視線をさまよわせ……ふわふわした口調で言うのだった。
「それは……それはヤバいですね……」
「ヤバいでしょ」
「ヤバみしかないですね……」
 思わずといったふうに頬が緩みきった顔で、にへらと笑う。お茶の間に見せてはいけない様相を呈している。
 星川は俺以上にゲームがないとダメな人間だ。
 閉店した「おもちゃの星川」の奥で埃をかぶっていたドリキャスの箱をじっと見つめていた十年前の星川がいまのドリームキャス子の原型なんだから、もう間違いなくゲー廃ってやつだよ。
 かくいう俺も、あのとき閉店した「おもちゃの星川」の軒先に置かれた古びれたアーケード筐体を前に途方に暮れていたので、人のことは言えない。もう電源が入らなくなったのに、スティックを握り、ボタンに指を置き、もういやというほど繰り返した操作をなぞらずにはいられなかった。あれから十年経ってこんなふうに再会するとは思っていたなかったけれども。
 そこにはべつに甘い感情はない。
 多少はあるのかもしれない。星川はかわいい。でもそれとゲームを作ることはべつだ。俺はゲームを作りたい。あの日遊んだときの感情を取り戻すために、ゲームを作りたい。
 星川だってそうだろう。
 これはだから、ただの共闘なのだ。ノスタルジーのためだけの。
 それ以上でも以下でもない。
「じゃあ」
 星川が言う。
「完成させましょう」
「……そうやね!」
 完成させなければ、いつまで経ってもどこか遠い理想のままなのだ。
 そしておそらくは、完成させたとしても、どこか遠い理想が手の届くところに来ることはないと知っている。
 それでも、作らなければ。完成させなければ。近くにだって来やしないのである。

 こうして、俺たち開発二部は星川を迎え入れ、部員数五人という部としての存続条件を満たし、ようやくゲームを作っていくための体制が整った。
 もちろんこれははじまりにすぎない。ゲームは、作る人間がいるだけでは完成しない。作らなければ、決して。そしてゲームを作る過程には、さまざまな困難が待ち受けている——んだけども、それはまた別の話。

「完成させて、その勢いで次も完成です」
「そうやね!」
「完成だけに、慣性が重要ですからね!」
「……いまなんて?」
「完成だけに、慣性が」
「もういいよ!」

 その前にツッコミ要員を入部させたほうがいいのかもしれない。

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