1.
羊街道の西風
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風巫女のエンブレイス

「ようてめえら、そんなに寄ってったって、荷物は一個なんだ。誰か一人しか受けらんねえ。だがな、今! 依頼主様がこの場にいらっしゃってんだ、その目で見て決めてもらおうじゃねえか」
 と、店主は、ちら、とカウンターに腰掛ける男をする。
 黒装束に身を包んだ男は、き、答える。
「それで構わん。我が主も、信頼できるのならば誰でもいいと仰っていたのでな」
 男のう雰囲気から、一見して闇世界に生きるものと分かる。
 一同、腰が引け気味な中、一人が名乗りを上げる。
「ふん。貴様では駄目だ。出直して来い」
「んだときさ……ぐっ」
 黒装束の腕が、男の首筋に伸びる。その手には、黒塗りの刃。動けば死ぬ。
「分かったか? この程度のやつには任せられんと我が主は言っているのだ」
 静まり返る店内。いつ短刀を抜いたか、それすら気付けなかったものも多い
 カウンターに掛けていた、翡翠の髪の少女——エアは、しかしその動きを、確実に捉えていた。彼女に取っては、むしろこの程度のことだった。
「私では不満か?」
「女には任せられん。たとえそれが《風葬り》であってもな。我が主の意向だ」
 エアは顔を歪める。
 だが、そこで食い下がることはしなかった。
 無駄だと分かったからだ。
「……くだらん。それで後悔しなければよいがの」
 再び、店内に静寂が下りる。
 す、と一人が立ち上がる。砂色の外套、フードで顔を隠した男。
「名前は?」
 黒装束が問う。フードの男は答える。
「ゼ……、ツェプフェロだ」
「貴様は……まあ、いいだろう。この中では貴様が一番ましだ」
 フードの男——ツェプフェロが満足そうに頷いて応えると、黒装束は立ち上がり、カウンターを後にする。
「荷物は所定の場所で渡す」
 紙切れをツェプフェロに押し付けると、そのまま店を去る。
「よう小坊主」
 黒装束と入れ替わるように、今度は店内にたむろしていた他の “猟人” たちがツェプフェロの元へと集まってくる。
「何」
「ちょっと面貸せよ、しけたフードかぶっちゃって、なんなの?」
「格好つけてんだぜ、笑っちまう」
 腹に手を当て、大仰に笑う男たち。しかし、ツェプフェロは全く意に介さない。
「忙しいんで、行くけど」
 店を出るべく静かに一歩踏み出す。と、
「おい待てよ」
 男の人が手を伸ばす。しかしその手は、空を切るのみ。
「っと、あれ?」
 顔を上げるとツェプフェロの姿は、既に酒場の入り口にあった。
「……何してんの?」
 このわずかな間で、移動したというのか。
 それも、乱雑に並べられた卓と椅子と、溢れる人とで混み合う店内を、だ。
「な、いつの間に」
「荷物運びにゃ脚が最重要。あんたらじゃ無理だよ」
 口元をゆがめ、ツェプフェロは酒場を後にする。


 ツェプフェロが酒場を出ると、もう日が沈み始めていた。
 宿へ向かうべきか、と考えていると、その背に声が掛けられる。
「おい」
 振り向くと、そこには翡翠の髪の少女が立っていた。
「ツェプフェロと言ったか」
「きみはさっきの」
 ツェプフェロが記憶を辿るよりも早く、少女が口を開く。
「エアでいい」
「おれに何か用?」
「さっきの依頼のことだ。手を貸してほしくはないか」
「どうして?」
 問い返す。
 それはつまりは、暗に断っているのと同じこと。
 だが、彼女もここでは食い下がった。
「別に私に仕事を譲れと言っているのではない。手伝わせてくれ。報酬もいらない」
「きみは “風読み” だよね。噂は聞いたことがあるな。自在に風を操るって。“風読み” が皆、きみみたいな力を持ってるわけじゃない。きみくらいの実力があったら、おれなんかと違って、いくらでも仕事があるんじゃないか?」
「他の仕事じゃ、駄目なんだ」
「逆に怪しいんだよ、そうまで言われたら」
「ぐ……」
「これは、おれひとりでやる。悪いけどね」
 エアに背を向けると、そのまま歩き去ろうとする。
 が、
「どうしても!」
 再び声を掛けられ、足を止める。
「どうしても、その荷物を……」
 しかし、エアの言葉を最後まで聞くことなく、ツェプフェロは再び歩き出す。
 理由がどうあれ、これは自分が受けた仕事だ。そして “猟人” ならば、ただ依頼主の意向に沿うまでのこと。
 孤独な生き方と知っていても。
 日は、すっかり暮れてしまっていた。


 パスカッシオは宿場町だ。旅人が腰を下ろし、横たわるための寝床としての役割を果たすためにある。もちろん早馬を継走させるための拠点でもあるが、多くの旅人にとっては、ただ通り過ぎるためだけではなく、一息つくために在る、それが宿場町だ。
 酒場や宿屋が多く並ぶのも、道理。
 ツェプフェロは、その中でも安い、粗末な宿を選んだ。路銀は、できるだけ長く持っていたい、と考えている。“猟人” の稼ぎは不安定だ。仕事を果たしても、報酬を値切られることもある。仕事道具は、もちろん全て自分で揃えなければならないし、手入れするにも金はかかる。そしてなにより、基本的には “猟人” の仕事というのは、必要に迫られる類——例えば食料や衣料、住居だったり、それらに関わることだったり——ではなく、人間の欲を満たすための類だから、その需要の不安定さと言えば、人の心の移ろうがごとし。
 人の欲を満たすために、己は質素な生活を送る。皮肉なものではある。いや、ある意味では、ツェプフェロも自らの欲のために “猟人” をやっているのだ。目標や夢といえば聞こえはいいが、結局それは生きるためではない別の目的なのだから。
「この町は多くの問題を抱えている。しばらくここにいれば、仕事には困らない……人の流通も活発だ。話も聞けるだろう。けれど」
 酒場から宿へと向かう途中、ツェプフェロは考える。一所に留まることが悪いことだとは思わない。けれども、果たしてそれで自分の求める答えが見つかるのだろうか、と。闇雲に探しても結果は同じだろうが……。
 宿へと辿り着いたところで、
「あの」
 すぐ側に少女が立っていた。向き直る。
「きみは、さっき路地で」
 ストロベリーブロンドの髪。ツェプフェロが路地で助けた、花売りの少女だった。
「あのときはありがとうございました。……このあたりの宿に泊まられているんですね」
「そうか、そういえばさっきの路地もこのあたりか」
 見渡せば、確かに寂れた雰囲気が漂っている。人通りから離れているからこその、この宿賃の安さだったから、それも道理だ。
「このあたりは、ちょっと物騒ですから、もう少しいいところに泊まったらいいのに」
 なんて、少女が笑みを浮かべて言う。こんな顔もできるのかとツェプフェロは素直に驚いた。
「何かあれば自分でどうにかできる程度には、腕に自信があるからね」
「あっ、それもそうでした。すみません」
「それで、何か用?」
「あの、見かけたら声を掛けてって」
「そういえば、そうだった」
 自分で言っておいて、自分から忘れているとは。間の抜けように思わず失笑してしまった。けれども、声を掛けてくれとは言ったものの、声を掛けた当の少女も、どう話題を持ちかければよいか量りかねているようで、確かに用がなければなかなか話などできないな、などと思う。
 くだらない話題はといえば、それは近しい間柄のものと交わすもので、会ったばかりの他人とでは、互いの距離を測りかねる。本当に見知らぬ他人ならば、かえって都合がよいのに。
 考えあぐねていると、ふと、少女が思いついたように口を開いた。
「あ、そうだ。お名前」
「ん?」
「お名前、聞いてなかったです。教えていただけますか?」
 問う花売りの少女。ツェプフェロは少しだけ考えてから、
「ツェプフェロ。古い言葉で、風の名前なんだ」
「ツェプフェロ……」
 少女はただ繰り返す。噛み締めるように。
「きみの名前は?」
「フロルです。フロル・リス」
 聞き覚えのある響きだった。
「もしかしてヴェンドセスールから来たのかい?」
 ヴェンドセスール王国は、アマルテア南西に位置するシェラブ半島一帯に広がる国だが、大陸中央とシェラブ半島との間にはシベリス山脈が横たわり、人の行き来は多くない。
 遥か旅を経て、アマルテアの地へとやってきたのには、それなりに理由があるのだろう。決して平易な道程ではない。
「わあ! よくご存知ですね!」
 けれども、彼女は花が咲いたように微笑んだ。
「フロルって、花のことなんです。私、花が好きだから。この名前気に入ってるの」
「旅をしたことがあるんだ。言葉も少しなら分かる。……その、よく似合ってると思うよ。その名前」
「昼間はあんなに気障なことをさらりと言うのに、今はなんだか少し照れ屋さんなんですね」
「なっ」
「でも、嬉しいです。ありがとうございます」
 ツェプフェロは、思わずフードを深く被り直し、顔を背ける。気を悪くしたわけではなかったが、くすぐったさと居心地の悪さがないまぜになったような心地がして、花売り——フロルの顔を見ていられなかった。
「あ……お引き留めして、ごめんなさい。疲れて、ますよね? おやすみなさい」
「ああ、いや……気を遣わせたみたいで、ごめん。声、掛けてくれてありがとう。楽しかった。また機会があったら」
「そのときは、ツェプフェロさんの方からも声掛けてくださいね。あっ、あと、町外れで花とか育ててますから、よかったら見に来てください」
「そうするよ」
 静かな街路を、夜風が吹き抜ける。
「おやすみなさい、安らかな宵を」
「おやすみ」
 フロルは頭を下げ、去って行く。
 その背を見送ってから、ツェプフェロも宿へと入った。


 ツェプフェロは荷物を手に、街道を往く。
 夜が明けると、紙片に記された場所で荷を受け取るなり、手早く身支度を済ませて、パスカッシオの宿場町を後にする。
 荷物は小脇に抱えられる程度の大きさの、布袋。紐で吊って肩から下げられるくらいではあるが、それでもずしりと重みがある。形は、球状に近い。球というよりは、卵がより近いか。卵というには、少し大きすぎるが。
 しかし、詮索は無用。
 ただ届けるのみ。
 向かうはアイネスブリューク。羊街道と塩街道の交差するところに、その街はある。パスカッシオからはそれほど遠くはない。しかし、山間の縫うようにしてできた羊街道は、ところどころで蛇行、起伏を繰り返し、街道とは名ばかりの悪路となっている場所も多い。アイネ峡谷に至る道は、特に険しい。道が悪ければ、当然その歩みは重くなる。それ自体は大したことではない。しかし歩みが重くなることにする障害は、荷運びの上では問題となる。
 一人旅ならば、なおさらだ。
 日はまだ高い。しかしながら、街道の脇に繁る木々が陽光を遮り、視界はあまりよくはない。
 夜でなくとも、軽装の一人旅など、格好の餌食だろう。
 しかし、依頼主がわざわざを寄越してまで、腕の立つ “” を選んだのは、当然、理由なしにではない。
 確実に届けられるものにこそ、任せられる、ということである。
 たとえ山賊に襲われようと。
 ツェプフェロは、周囲に潜む気配に気付いていた。あえて、気付かぬ振りを続け、街道を進んだ。
 様子見というよりは、歯牙にもかけていなかった。ただそれだけのこと。
 だが、少し甘く見ていたか。
 ツェプフェロは、足を止める。
「おう、素直じゃねえか」
 山賊が茂みから姿を現す。前に、五人、いや六人か。後ろに、四人。両脇にはまだいるだろう。
 数が、多い。
「で? そのまま素直に持ってる荷物置いてけや、おら」
「全部だ、全部」
「命までは取らねえからよ」
 ——嘘だろうな。
 人を殺しなれている感じがする。貧民街で弱者をいたぶるごろつき風情とは、わけが違う。甘く見すぎていたか。いや、何とかならないほどでもない。
 ツェプフェロは、考えていた。いかにしてこの場を切り抜けるべきか。
 思い出せ。これよりなお死に近い場はいくらでもあった。それら全て超えてきた。この程度は、どうということはない。ただ、面倒なだけだ。そう、面倒なだけ。
 あるいは、幸運の女神はまだ見捨ててはいまい。風の気配で分かる。
「断ったら?」
 あくまで強気に、口元を歪める。
「舐めてんのか糞餓鬼」
「どうも、死にてえらしい」
「死にてえってなら、本意じゃねえが、仕方ねえな」
「残念だ、物分かりが悪くて非常に残念だなア」
 じりじりと山賊たちが、間合いを詰めてくる。前よりは、後ろか。違うな。後ろは誘い込むためだ。前に逃げられるのを避けたい、か。
 もしかするとこれはただの山賊ではないかもしれない。あるいは、背後に誰かがいる?
 ——考えるな。今は荷物を無事に届けることだけを考えろ。そのために何をすべきだ?
 ツェプフェロは、ただ思考を巡らす。
 これがただの山賊であろうとなかろうと、おそらくは前に逃げる方が、結果的には楽だろう。この状況でなおも強行して荷を届けよう、などと考えさせないように、わざわざ前に多くの人数を並べた、そう考えることにする。
 ならば。
 剣帯に手を添える。
「はっ、やろうってか! 小僧、調子に乗るのもたいがいにしやがれ!」
 正面の、隻眼の山賊が吠える。腰に回した革帯の、背中側から手斧を抜き放つと、ツェプフェロへと飛び掛かる。フードの隙間から、冷静にその様を見据える。彼我の距離が縮まる。刹那を刻む。今だ。
 腰を低く落とし、しかし牽制だけで剣は抜かず、前方へと跳ぶ。フードの紐緒をきつく握りながら、そのまま転がり、山賊の背後へ抜ける。
「おい、逃がすな! 囲め!」
 街道両脇の茂みから、更に山賊が現れる。三人、四人。足音から察するに、後方にも十数人の山賊がいるようだ。
 ——後ろは無理だったか。
 読みが当たったことに、しかし何の感慨も覚えない。外れていれば、死んでいただけのこと。
 囲まれるより早く起き上がり、同時に、駆け出す。
 進路を確保する上で、並走されるのは避けるべきだ。
 両の脇へと迫る追手、右側をちらと見やる。
 短いステップ。一瞬、足を止める。屈み、身体を捻るように、右後方から迫る山賊に向け、抜き放つ。一閃。
「あがっ」
 鮮血が舞い、山賊がその場に崩れ落ちる。
 悠に二十人を超す山賊たち全てを相手にするのは無理だ。これなら勝てる、と思うな。ツェプフェロは、再び駆け出す。ふと立ち止まり、今度は左の追っ手へと回し蹴りを見舞う。
「おぐげっ」
「なにやってやがる! 餓鬼一人に手間取りやがって!」
 山賊が怒鳴り散らす声が響く。
 そのときツェプフェロは、おや、と思った。不意に、足音が不規則になったのだ。
 ——いやな予感がする。風の流れを感じろ。そうだ。何が起こる?
 心の中で、時を刻む。肌に触れる空気の流れを、理解する。
 何が起こるか。想像する。山賊。隻眼。手斧。革帯。
 ——来る。
 空を切る音。隻眼の山賊は手斧を持っていた。
 腰を、一気に落とす。革帯。手斧を吊るすためのもの。
 頭上を、風が切り裂いていく。手斧は一本じゃない。
 手斧が、空を舞う。なら、まだ来る。
「のやろう、やるじゃねえか……
 振り向けば、二本目、三本目が山賊の両の腕にあった。
 そのとき、風を頬に感じ、気付く。
「小僧、その髪……!」
 フードが、ない。
 後ろへと飛び退きながら、追手の追撃をす。足元に、手斧が落ちていた。斧頭には、砂色の布切れ。
「べつに髪が青いからって、どうこうって話じゃない。亜人なんていくらでもいるだろう。あんたらの中にだって」
 ツェプフェロを中心に、風が集まっていく。
 くすんだ青灰色の髪が、風になびく。
 ふと、山賊の一人が声を上げた。
「その髪の色……ゼファーリッド!」
「ひ、人違いだって! こんな髪の色、いくらでもいる!」
 図星を当てられ、ツェプフェロ——ゼファーは高らかに叫ぶと、周囲に集まる風をその身に “まとい”、再び走り出す。
 いや、走るというよりは、跳ぶ、が正確か。
「な、速い……!」
「化け物か!?」
 驚愕する山賊たち。しかし、隻眼はひとり冷静に言う。
「いや……この道じゃ、奴の力も発揮できまい」
「しかしお頭、あの足じゃ到底追いつけませんぜ」
 追いすがるも、徐々にその差は開いてゆく。
 しかし、それでもなお、隻眼は動じない。
「茂みを使って先回りしろ。この街道は、俺達の庭だ」

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