街をひととおり見て回った。
人は誰もいなかった。
「この生活感のなさは、昨日今日人がいなくなったという感じではないような気がする」
「かといって、それほど長い間放棄されている感じでもないですね」
ここにいなかったのは三ヶ月程度で、これだけの規模になるまで開発をするのに、それなりに時間が掛かる。仮に二ヶ月ほったらかしにしていたとすると一ヶ月でここまで作ったことになるので、それは不自然だ。
と考えると、十数日から半月、長くても一ヶ月くらいと見るべきだろう。
争いの形跡はない。
単に人がいなくなっただけという感じだ。
何が起こったのか。
まるで検討もつかないというわけではないのだけど。
あまり考えたくはない。
「考えたくなくても、今は考えなければいけないときだと思いますよ」
「そんなにわかりやすい顔をしてたかな」
「はい」
うーん。
わりとポーカーフェイスには自信があるほうだ。
よく何考えてるのかわからないと言われる。
ただ、考えてみればそれって単に普通の人と思考パターンが違っているというだけのことかもしれない。
アンネと俺の思考パターンが似ている……というわけじゃないだろう。俺はアンネが何考えてるのかわからないし。
いや、そうか。
「アンネは俺のことずっと見てたんだったな」
「はい」
そりゃわかろうってもんよ。
うむ。そうだ俺はわかりやすい人間ではないぞ。自信を持て、俺。
心の中で自分に言い聞かせつつ、アンネの顔を見ると、なにやらにこにこしながらこちらを見ている。い、いや、それでも俺はわかりやすい人間ではないぞ!
「ともかく、だ。これから俺が何をしなきゃいけないのか、だな」
「トールさまは、今はまず、状況を正しく理解したいとお考えのはずです。そうすれば、考えたくない可能性を排除できるかもしれない」
「まあ、考えたくない可能性の方がより確度を増す可能性もあるんだけど」
「そのときはそのとき、でしょう?」
理解者だ。
そう。そのときはそのときだ。
考えたくないことは考えないで済むに越したことはないし。動いてればその分考えなくていいし。
「というわけだから、とりあえず行こうか」
向かうべきは、ニルシュヴァール市。
「一つ確認しておかないといけないことがある」
「なんでしょうか」
向かう道すがら、アンネに尋ねる。
向かう道といっても、門を開いて空中回廊に戻ってきただけだ。
ニルシュヴァール市の近くに門を開いて直接移動したほうが早い。これが使えたら歩き回らなくてよかったしもう少しいろいろなことができたんだけど。
それは今はいい。
「アンネは地上で死ぬとどうなるんだ?」
「トールさまと同じで、ここに戻ってきますね。というよりは、ここから下に降りるということは、つまりそういうことなんです」
なるほど?
「誰が降りても死んだらここに戻ってくるってこと?」
「そうです」
なるほど……。
「わたしが死んだときのことよりも、ご自身が死ぬ心配をしたほうがいいのではないでしょうか」
「一回死んでるからなあ」
死んだときの感覚もおぼろげだし。
いやたぶんものすごい苦痛があったはずだと思うんだけど、もうほとんど思い出せない。
そもそも死の恐怖っていうのは、何もかもが失われて終わってしまうところにある。つまり人は何かを失うことを恐れる。自分が死んでもやり直しができるけれども、アンネが死んでやり直しができなくてそれっきりになるんだったら、それは怖い。
「でも、トールさまが今、誰かが死ぬかもしれない状況を想定しているのは分かりました。ふふ、考えたくないなんて言って、ちゃんと考えてるじゃないですか、ふふ」
なんだろう、この、保護者感。
ふふ、じゃねえんだよ!
「ま、まあ、とにかくアンネが死なないってわかってちょっと安心だ」
「ちゃんとこっち見て言ってくださいよー」
無視。
とはいえ、死んで意識を取り戻すまでのタイムロスを無視することはできないので、そうそう無茶はできない。時間が惜しい。そういう状況の可能性が大きい。
「そうだ、時間があんまりないんだった」
「門ならもう開いてありますよ」
さっすがアンネ!
なんて言おうものならドヤ顔をされて鬱陶しいことこの上ないと思われるが、言わなくてもドヤ顔でこちらを見ている。さあ褒めろと言わんばかりに。
もちろん無視するし、俺は静かに門に足を踏み入れる。
「めちゃくちゃ便利だな」
ニルシュヴァールの城壁を目にして、思わず呟く。
なおマジャロヴャルキとの戦いで損壊した城壁はもうすっかり修繕が済んだようで、かつての堅牢な城塞都市の姿を取り戻していた。
俺たちは今、城壁の内側にいる。通行税を払いたくないというよりは、顔を検められる危険を冒したくなかったからだ。決して通行税をケチったわけではない。
さて、街の中の様子はというと、こちらも元通りの賑わいを見せている。
「なんだか騒がしいですね」
「そう?」
うーん?
言われてみれば、前はこんなにざわついてはいなかったような気がする。
「『遠見』で……って、トールさまは『遠見』できないんでしたね」
はあ、とため息をついて、ぼんやりと虚空を見るアンネ。
「いやしょうがないでしょ。俺だって好きで『遠見』できなくなったわけじゃ……」
「黙っててください今『遠見』に集中してるんですから」
「アッハイ」
怒られた……。
「広場に人が集まっていますね
「なんでまた」
「群衆が役人に詰め寄っているように見えますね」
「暴動?」
「そこまで大袈裟ではありません」
なんだろう。
話している内容が分かれば分かると思うんだが、『遠見』では声を聞くことまではできない。視点を動かしているだけだからで、もしそうでなければ今ここでアンネと会話することもできない。
「直接行ってみるしかないか?」
「この格好で町中を歩き回るのは少し怪しすぎるような気はしますが」
「そこはこう、路地裏からこっそり」
「はあ、トールさまは神さまなのに……」
神にもいろいろある。
秘されし神。
こう表現するとカッコイイ。
物は言いようだ。
「そういえば」
「はい」
「俺、言語の神になったってことらしいけど」
「そうですね」
「具体的にどういう力があるんだ? いや、いろんな言語を認識する能力があるのはわかってるんだけど」
「お気付きではなかったですか?」
「何が」
聞き返すと、アンネはちょっとだけ黙り込む。
答えようかどうしようか、逡巡するように。
それからから、少し躊躇いがちに口を開いて、結局答える。
「トールさまが何かを交渉するときに、話がまとまりやすいとお感じになったことはありませんか?」
「……え?」
「何の権限も持たない一介の旅人が都市を相手取って交渉してすんなりと話が決まることに違和感を抱きませんでしたか?」
「……」
ある。
ずっと考えていたことだ。
というか、わざわざ確認するまでもない。アンネは俺の声を聞いてたんだから。
ミクシャ二世との謁見のときも、シャルに演説を頼んだときも、オルファ=ソノラでルチエラと交渉したときも、みんなあっさりと話が決まりすぎだった。
ただ。
「もし、言語の神としての能力として、ゲーム的に表現すると、交渉スキルに補正がかかる、みたいなものがあるとすると、いくつかおかしいことがある」
「交渉スキルの補正というのは、いい表現ですね。続けてください」
褒められた。
と喜んでいる場合じゃない。広場を目指して路地を歩きつつ、続ける。
「まず、ミクシャ二世に軍師として登用することを進言したとき、これは断られている。つまり、無制限に何でもかんでも要求を飲ませることができるわけじゃない」
「そうですね。無制限に何でも言うことを聞かせるのは、交渉ではなく命令です」
「じゃあ、といって、オルファ=ソノラでは交渉が成立した。結構な無茶をしたと思っているんだけど、この違いは何だろう?」
「交渉が成立するために必要なのは、何だと思いますか?」
「それは簡単だよね。自身の利益を確信できるかどうかだ。交渉は二者以上の間で行われるから、交渉の参加者が皆、自身の利益を確信できたなら、交渉が成立する」
ちなみに、この場合の利益というのは、実質利益ゼロということもある。すでに大きな損失を抱えているとか、これから大きな損失を被ることが確定している場合に、それを回避できるとしたら、それは利益と呼べるだろう。だから、実際に利益がなくとも、損失が最小化できるなら交渉に合意できる。ここではこれも利益と呼んでおく。
この状態を利害の一致と呼ぶ。
「オルファ=ソノラでトールさまが交渉を成立させられたのは、相手側がトールさまとの間に利害の一致を見たからです」
「でも、そうだとしたら交渉スキル関係なくなるような」
「トールさまは、先程ご自分で『利益を確信できたなら』とおっしゃいました。どこの馬の骨ともしれない旅人の話を聞いて、自身の利益を確信できるでしょうか」
「なるほど」
交渉のテーブルについて、相手に話を信用させられる能力ってところだろうか。
よく考えなくてもそれってすごく強いのでは。
ということは、もしかして、俺 TUEEE のはじまりなのでは?
「今になってアンネがやたらと興奮してた理由がわかったよ」
「わ、わたし興奮なんてしてません!」
「してたで……ああ、いや。そういう意味のほうじゃなくてね」
フードの下の顔を真っ赤にしたアンネが、俺の腕をポカポカと殴りつける。
「言語の神ってすげえんだなって」
「もう。最初からそう言ってるじゃないですか」
「ごめんごめん」
しかし、だ。
たとえば、こちらの言ったことを信用させておいて、後から手のひらを返したっていいわけだから、詐欺し放題になるのでは。
実際ニルシュヴァール防衛戦でやったことというのはほとんど詐術なのだし。
貨幣を偽造したり偽造した金で役人を買収したりしておいて今更ではある。
「悪いことを考えていますね。トールさま、RPG で魔法を使うときに消費される MP の存在をお忘れではありませんか?」
「最近はコストなしのパッシブスキルも増えてきたからなあ」
「ワレ何屁理屈言うとんのや」
「ヒッ!?」
「こほん。すみません、ほんの少し取り乱してしまいました」
「えっほんの少し……いっ、いやーいい天気だなー」
怖かった……。
「ともかく、神としての能力が発揮されるとき、トールさまは何らかのコストを支払っています。それがどういうものなのかは、そのときによって異なると思いますが」
「その説明はもうちょっと早くするべきだったんじゃないかなあ」
「聞かれませんでしたし」
今も聞いてないわけだけど、説明してくれたということは、最初の頃とはちょっと事情が変わったってことだ。体験版はもう終わったわけだし。本当はチュートリアルでする話なんだけどね、そういうの。
死んで戻ったときには意識体の再構成に時間というコストを支払っている。
門を開いたり世界間通信にも、おそらくは何らかのコストを払っているのだろう。それが何なのかはわからないけれども。
「待てよ? そうか」
「何かわかったんですか?」
「パッシブスキルで常時何らかのコストを払っているんだとしたら、門を開けなかったりするの説明できない?」
「なるほど、言われてみればそうかもしれません」
世界間通信みたいな基本的な能力が使えないってのは異常だ。ただ、それらにコストがかかるんだとしたら、MP が空のときには当然使えない。仮にそれ以外の能力が発動してて常時 MP 切れになってるなら、基本的な能力ですら使えないことになる。理由としてはありえそうだし納得だ。辻褄は合っている。
問題はそのコストとかいうやつが目に見えないしほかの感覚でも感知することができないものってところなんだけど。
でもそうすると門を開けない理由も納得できてしまうし、同時に言語の神としての能力が発動している限りは門も開けない『遠見』もできない世界間通信も使えないでまるで何もできない。
何しろ門開けないと空中回廊に戻ることさえできないのでいちいち死んで戻るしかなくなる。どれだけ言語の神の能力が強かろうと移動手段がデスルーラってのはさすがにきつい。
全然俺 TUEEE できないじゃん。
俺 YOEEE とまでは言わないけども……。
「それに、誰しも、損得勘定だけで動いているわけではありませんし」
「まあ、それはそうかもしれないけど」
俺も得にならないことをしている自覚がある。
いや、異世界生活は楽しんでたし、まるで得がなかったかというと、そうではないんだけど。結構しんどい思いもしたし。地球時間に換算すると刹那の体験なので、時間的なコストはほとんど払っていない。そのへんを差し引きしてもプラマイゼロがいいところだ。
「と、それよりそろそろ広場ですね」
「一体何の騒ぎなんだろうな」
「さあ……ですが、見れば分かりますよ」
「それもそうだ」
路地から顔だけ出して、広場を覗きこむ。
大勢の人が、役人に詰め寄っているのが見える。
「我らにもっとパンを!!」
「「「パンを!!」」」
パン?
「食糧難でしょうか」
「うーん」
それはちょっと考えにくい。ニルシュヴァールは恵まれた農地を持っていて、生産力は都市の規模相応にある。もちろん、この間の防衛戦やらで農作業が中断されたし、まったく影響がないわけではないと思うけど。
統率が取れていて、暴動という感じではない。
「我らにもっとパンを!!」
「「「パンを!!」」」
「パンはない! 次の配給を待て!」
「我らにもっとパンを!!」
「「「パンを!!」」」
ん?
役人、今配給と言ったか。
「配給制?」
小麦は税として納められる。だから、領主が小麦を……つまりパンを余剰に持っていることは、ごく自然なことだ。その余剰のパンはどうするかというと、教会経由で再分配されるとか、下働きの人間に与えられるか、あるいは他領との交易に使うか。単純にストックだけするということはないんだけど、どこかにプールしておかないと配ったり取引したりできないので、常にいくらか備蓄されている。
「ちょっと整理しよう。まず、何らかの事情で領民がパンを食べられなくなったから、領主にパンを要求している」
「どういう事情なんでしょう」
「それは分からない」
想像はできる。シャルがいなくなったことと関係がなければいいんだけど。
でもそれはちょっと楽観的すぎる気がする。
「とりあえず、次。領主は配給によって余剰のパンを領民に分け与えている」
「見たままですね」
「そう、見たまま。でもこのことから、領主が税として徴収した余剰のパンを領民に再分配する決断をしたということがわかる」
ある種の非常事態宣言を発令したとも言える。
「つまり、ニルシュヴァールの食糧事情は今なんらか危機に瀕しているってことだ」
さっきアンネが言ったとおりってわけだ。
「でも、ふつう食糧難になるようなときは、領主も領民も関係なく同時に食糧難になりませんか?」
治める側に多少余剰があっても、たかが知れている。たとえば不作だったら税収が下がるので領地がストックする食糧は減るし、交易が赤字に慣ればやはり領地がストックする食糧は減る。後者の場合はむしろ領民のほうが備蓄があったりする。
「これは想像なんだけど」
と前置きしておく。
「ワレシュティ租界に人がいなかったのって、そこにいた人たちがワレシュティ租界を去ったからだと思うんだよね」
「それはそうでしょう」
アンネは何を当たり前のことを言っているんだろう?という顔で、小首を傾げる。
「どうしていなくなったか……というよりは、どうして去ったのかを確かめるために、ここに来たんですよね?」
いや、実際のところ、住人全員が死んだまで可能性としては考慮してたんだけどね。
もっとも、死体のひとつもなかったから、それはない。
「どうして去ったのか、その理由が問題なんだ」
住人が全滅してないからといって楽観できるわけじゃない。
そこに住んでいる人間全員が去らなければいけない状況って、そんなに多くない。
追い出されたとか。
避難したとか。
確実に言えるのは、みんな、もうそこにいられなくなったからだ。
この世界はゲームじゃないから、ランダムイベントの発生を抑制するコンフィグ項目なんてない。
何が起こってもおかしくはないのだ。
「最悪、俺たち死ぬかもしんない」