赤い食事——といっても、赤いのはメインディッシュだけで、その他は真っ赤というほどでもない。ただ、白い食事に比べれば、赤いとは言える。
こういうのは、言ったもの勝ちなので。
この国にコース料理という概念はない。全部の料理が一気に出てくる。
なので、スープ以外は冷めても大丈夫な料理にした。
「アヒルバトとルビーベリーを使ったスープでございます」
橙色の澄んだスープを、各々の前に並べる。
「きれいな朱色ね……さわやかな香りがするわ」
リリーがうっとりと声を漏らす。男爵も興味深そうに見ているが、レイフリックだけは苦い顔をしている。
「続いて、こちら。アヒルバトと野菜の包み焼き……パイという料理にございます」
次に、木の板に載せられたパイを、テーブルの真ん中へと置く。
こんがりと狐色に焼きあがり、芳ばしい香りを漂わせている。
「これは……バニッジとは違うのね」
リリーの言葉に頷く。
「ヘラムギの粉を練ったあたらしい生地にございます」
「へえ」
リリーが挑戦的な目をぼくに向ける。これがあなたの言っていたパン?——そう言っているような気がしたけれど、ぼくは曖昧に笑うだけで、答えない。リリーは少し不機嫌そうに頬を膨らませて、「ま、いいわ」と、次の料理を促す。
「最後に、アヒルバトのロースト、ルビーソース添えでございます」
ほう、と男爵が感嘆の息を漏らす。
実際、皆この料理こそ気になっていたのだ。男爵はさっきからちらちらと横目でうかがっているし、レイフリックも、不機嫌そうな顔ながら、興味を隠せない様子だった。使用人たちも、この部屋に運ぶときからぼくに何か聞きたそうにしていた。ぼくはわかってて何も言わなかったんだけど。
窯でじっくりと焼き上げたアヒルバトのローストをスライスし、一枚ずつ短い木串を通した。これをルビーベリーのソースにつけて食べる。身も桜色で、これこそまさに赤い料理だ。
丸焼きより、部位ごとに切り分けて低温でじっくり焼くほうがぼくにはやりやすいと思った。ただ、温度を管理するのがむずかして、きれいな桜色にできあがったのはこれだけだ。失敗作を多く出してしまったけれど、それは使用人のまかないになる。クーシェルにはちょっと怒られるかもしれないけれど。
「腕によりをかけた自信の料理にございます。どうぞ、お召し上がりくださいませ」
一礼して、一歩下がる。
ふと、かたわらに控える爺が、ぼくを細い目で見ているのに気付いた。ああ、これは……後でお小言が待っているパターンだ……。
でも、とりあえずはほら、皆さんの反応をね、見てから……というふうに目配せをすると、爺は小さくため息をつき、同じく小さく肩をすくめた。
お咎めなしってことにはならなさそうだ。諦めが肝心。
「ふむ……では、リリーから食べるがよい。そなたのための料理だ」
「ええ、お父様。ありがとう存じます。それでは」
まずはスープを一口。
「……ん。ルビーベリーは、もっと酸っぱいのだと思っていましたが……これは、甘いのですね」
「ルビーベリーの強い酸味は、熱でいくらか和らぎます。また、ほどよい塩気があれば、本来の甘みが引き立って、やわらかな味になります。それから」
と、続きを言おうとしたリリーが遮って、得意げな顔で言う。
「ええ、タルネギでしょう? クーシェルが新しい料理といって、ラクのバターミルクを溶いたタルネギの白いスープを出してきたことがあったもの」
クーシェルの顔を見る。これもまた、得意げな顔をしていた。
やられた。
ラクのバターミルクを溶いたスープ。完全な白い料理じゃないか。
クリームスープの類だと思うけれど、そうか……クーシェルは伊達に男爵家の厨房係を務めてはいないということだ。それはわかっていたけれど、ちょっと悔しい。
「でも、これは不思議な味……。ね、お父様も食べてみて。お兄様も」
いつの間にか、貴族らしい振る舞いはどこへやら、歳相応の娘という雰囲気になったリリーが、男爵とレイフリックにスープを勧める。
でも、そのほうがリリーらしくていいと思う。
「……ほう。変わった味のスープだな」
「……ふん」
男爵は感心した顔で、レイフリックは不機嫌な顔で、それぞれスープを味わう。
「お兄様。もっとおいしそうに味わってくださいませ」
「……味はよい」
よかった。口に合わないわけじゃなかったんだ。
「じゃあ次は……パイといったかしら。これはどんな味がするのかしらね」
切り分けられたパイを手に取り、断面をまじまじと見る。
薄桃色のペーストが、パイ生地の間に挟まっているのが分かる。
「リリー。それはあまり行儀がよい食べ方ではない」
「もうしわけありません、お兄様」
レイフリックがたしなめるも、ちっとも悪びれたふうでなく、パイを思う存分眺めてから、ゆっくりとかじりつく。
もぐもぐと味わい、
「んっ……んんー!」
目を見開く。
「おいしいわ! ちょっと酸っぱいけど、爽やかな味だわ……それに、口の中で溶けるみたい……でも……これは……何の肉かしら? 食べたことがない味だわ。ソーセージ……ううん、違う……変わった風味ね……」
続いて男爵が食べ、
「……ほう。アヒルバトの……肝だな?」
「よくおわかりになられましたね」
「食べたことがある。だが、このように臭みを取るのは困難だと厨房係には聞いている……一体どのようにした」
「塩水にさらします。臭みの元は主に血です。塩水で洗うことで、血を落とします」
ただ、塩水をそんなふうに使うことが許されるのは、祝いの席くらいだと思う。
「それだけでこのように?」
男爵はまだ納得できてないようで、疑いの目を向けてくる。
「熱すぎない湯で茹でて、香草やセンジンなど、香りのあるものを加えてあります」
実際、塩水で血抜きをしても、肝には独特のクセがある。
土鍋を使って沸騰しない程度の低めの温度で茹でると、クセを抑えられる。
その上で、潰した肝に香草とマッシュしたセンジンを加えてペーストにした。色付けにルビーベリーを、コクを増すためにラクのバターも使った。
香りづけに使う材料の組み合わせは重要だ。間違えると香り同士がぶつかって、風味が濁ってしまう。今回は悪くなかったと思う。
ぼくの説明を聞いて、男爵がそういうものかと納得した顔をしたところで、パイを食べ終えたリリーが呟いた。
「後は……串に刺したアヒルバトね」
皆の視線が、アヒルバトのローストに集まる。
リリーが串を手に取ると、男爵がこちらに顔を向ける。
「部位はどこを使っている」
「むね肉ともも肉でございます」
「それがこのように赤い身に?」
「ちゃんと焼けているのだろうな」
レイフリックが訝しげな目でこちらを見る。
「弱い火でじっくり時間をかけて焼くと、強い火でしっかりと焼くのと同じように、肉を清めることができます。身体に障ることはございませんので、安心してお召し上がりください」
リリーは興味深そうに串に刺さった身を眺め回している。
男爵は興味はあるが、口にするのはややためらいがあるようで、串に手を伸ばさないでいる。レイフリックはというと、「……信用ならんな」と呟いて、腕を組んでじっっとしている。ややあって、串を眺めるリリーへと視線を向けた。
「食べぬほうがよいのではないか?」
というレイフリックの言葉に、リリーは、けれども構うことなく、
「……あむ」
アヒルバトのローストを、串から抜き去るようにして、頬張った。