1.
領主の娘とパン
36 / 39
まぼろし国の食卓より

35. 石焼きカブイモ

 ぼくはいま、クーシェルとナーサラ、リリーと一緒に、厨房に立っている。

「はい、というわけでね。今日はこれからとっても甘い水あめを作っていきたいと思うんですけどもね」
「水あめ?」

 リリーが首を傾げる。

「水あめということは、水のような飴か。シロップや蜂蜜のようなものか?」
「だいたいそうです」

 この世界——少なくとも——には、砂糖がない。砂糖という名前もない。イスランドの外にはあるかもしれない。ないので、イスランドで使われる甘味料は、おおよそ蜂蜜が主となっている。
 他にはマーメルのシロップがある。マーメルは酒が作れる程度に糖分を含むので、シロップの原料にもなる。製造に手間がかかるし、酒と比べると保存が効きにくいこともあって、あまり作られない。
 イスランド南部、特にこのあたりだと蜂蜜のほうが手に入りやすいので、蜂蜜を使うことのほうが多いだろう。
 まあ、どちらも庶民や下級貴族にとっては高級品なのには違いない。
 さて、シロップや蜂蜜は乾燥させて固めたほうが保存が効く。シロップや蜂蜜を水で溶いたヘラムギの粉やラクの乳と混ぜ、加熱して水分を飛ばす。これで飴ができる。前者はでんぷん、後者はカゼインを利用してるんだろうと思われる。詳しくはよくわからない。
 他に飴と呼べるものや、甘味の材料となるものがないかというと、ちょっと思いつかない。ある種の木の樹液は天然のガムになったり天然の飴になったりする。けれども、としての〈ぼく〉の記憶には、そういう木はなかった。この世界のどこかにはたぶんあるだろう。

 さておき。

「水のような飴を作るとして……材料は何だ? ちょっと見当たらないが」

 不思議そうな顔であたりを見回すクーシェルに、ぼくは言う。

「ここにあるじゃないですか」

 ぼくが指差すものを見て、ナーサラが怪訝な表情を浮かべる。

「ここにある、って……それはカブイモよね?」

 そう、カブイモだ。
 眉間にシワを寄せて、クーシェル、むむ、と唸る。

「カブイモで飴なんか作れん……いや、確かに甘みはある。本当に作れるのか? だが一体どうやって」
「そうですね。まずは水あめの前に、カブイモの本当の甘さを味わうところからやってみましょうか」


「ふつう、カブイモの煮込みは、沸騰したお湯にカブイモや他の具を入れてグツグツと煮込みます」
「そうだな」
「今回は煮込まずに石で焼きます」
「ほう」

 カブイモをザクザクと切って手のひら大にする。実際にはザクザクではなく、歯をガッと当て、グッと押し込み、グググと力を入れ、グイグイと刃を漕いで、ガツンと断ち切る……という感じなんだけど。包丁が鈍いので。ガッ、グッ、グググのグイグイ、ガツン。カブイモが手のひら大になったところで、水に晒す。
 鉄鍋の底に小石を敷き詰めて、その上に水気を切ったカブイモを並べていく。鉄蓋を乗せて、火にかける。

「鉄鍋で直接焼いたり、沸騰したお湯で煮込むと火が通り過ぎちゃうんですよね。石で焼くとカブイモの表面は急激に焼かれることになりますが、内側はじっくりと火が通ります」
「仕組みはよくわからんが、お前がそういうならそうなんだろうな」

 ぼくも実際のところ仕組みはよくわかっていない。
 温められた石は遠赤外線を発する。発せられた遠赤外線は食材の表面で吸収されて、そこから内側に熱が伝わる。表面はパリっと焼けて、内側にはじっくりと熱が伝わっていく……というような理解をしているけれど、遠赤外線だとどうして芯まで直接熱が伝わらないのかとか、根っこの原理を理解しているわけじゃない。電子レンジのマイクロ波は内側まで浸透して物体の内側の水分子を振動させるので、表面だけじゃなくて全体を加熱する、ということも、知識としてはわかる。遠赤外線とかマイクロ波とかああそういう性質なんだなと思う以上のことはわからない。

「でも、カブイモの本当の甘さっていうけど、本当に甘いのかしら?」
「カブイモだけじゃないよ。ぼくは、ヘラムギも本当はもっと甘いんじゃないかと思ってる。まあちょっと試す機会がないからわからないんだけど」
「蜂蜜をかけなくても甘いグリュエルがあるのなら、食べてみたいわね」

 リリーの口ぶりは、まるでそんなものはないと言っているようだけど、ヘラムギからお酒を作れるなら、酒を作るのに充分な糖分をヘラムギから作り出せるんじゃないかと考えている。一方で、ルビーベリーやルリモモで果実酒を作るという話は聞かないから、これらの果物がいくらヘラムギより甘く感じられたとしても、ヘラムギのほうがお酒を作るのに向いてたってことなんだろうなと思う。
 直接甘くなくてもよくて、甘くなる素がたくさんあればいい。ヘラムギやカブイモにはでんぷんがたっぷりある。で、カブイモはひょっとするとヘラムギ以上じゃないか、とぼくは思っている。

 という感じでじっくり待つこと半刻。

 蓋を開け、火ばさみで焼けたカブイモを取り出す。真っ黒な塊にしか見えない。

「これで焼き上がりなんですが……表面の焦げはぎましょう」

 軽くナイフを当てると簡単に剥がれる。ねっとりとした手触りが伝わる。
 中は……うん、いい感じに飴色になっているな。
 芳ばしい香気が立ち上る。

「いい香り……」

 ナーサラがうっとりとした声を上げる。
 カブイモをナイフで切り分けて、一口大にすると、木串を刺していく。
 部分的にほくっとしていたりねっとりしていたりで、火の通りがまちまちな感じがあるけれど、カブイモの繊維質の関係なのか、鍋の中の位置で火の当たり具合が違うのかなんなのか、まあわからないけど、仕上がりは悪くない。

「食べてみてください」
「ふむ」

 まずクーシェルが食べる。

「熱っ……」

 はふはふと息を漏らしながら、口の中で転がすようにして咀嚼する。
 飲み込み、一息ついたところで、クーシェルが口を開いた。

「……ふむ。なるほどな。確かに、甘い」
「本当? じゃあ、わたしも」

 クーシェルに続いてナーサラがカブイモの串を手に取ると、ふうふうと冷ましてから、ひとかじりする。

「んっ……本当、甘いわね……」

 しみじみと味わいながら言うナーサラの横で、リリーが黙ったまま、疑わしげな表情で、カブイモを口に入れる。
 瞬間、目を見開く。

「……!?」

 それから手足をバタバタさせて、ぼくの肩をぺしぺしと叩く。
 ああ、はいはい。
 木のマグに水をむと、それをリリーに渡す。

「あつっ……熱かったじゃない!!」

 だからナーサラがふうふう冷ましてたじゃない、とは言わない。

「でも、甘かったでしょう?」
「水飲んじゃったからよくわからないわ。もう一つ食べていい?」
「たくさんあるからね」
「じゃあ……」

 今度はちゃんと冷まして、用心深そうに、おそるおそるひとかじりする。

「ん……」

 一口ずつ、一口ずつ……やがて充分熱が取れたとみて、残りを一口で食べる。
 それからカブイモの味を確かめるように、ゆっくりと噛んでいく。

「甘いわ」

 と、苦い薬を飲んだような顔で言った。

「言ってることと表情が全然違ってるよ」
「だって、悔しいじゃない」
「別にしてやったりなんて思ってないし、それに、おいしいものを食べさせてあげるよって連れてきたんだから、おいしくないものは食べさせないよ」
「そんなことはわかってるわよ」

 わかってても悔しいのよと言って、リリーはため息を漏らす。
 そこで不意に、クーシェルが口を開いた。

「まあ、甘いことは甘いが……カブイモのクセもあるな。甘味にするにはちょっと上品さが足りない」
「そうですね」

 カブイモはちょっとアクがあるというか、どことなくエグみがある。煮込みの場合アク抜きをするのでこれは問題にならない。カブイモを煮込みで食べるのは、おおよそこれが理由なんじゃないかと思う。
 まあ農民にとってはこれでもごちそうになる気はする。鉄鍋じゃなくてもできると思うし、基本放っておけばいいので、煮込みよりは楽かもしれない。

「さて、カブイモが甘いことがわかったので、これで水あめが作れることも納得できるんじゃないかと思うんですが」
「ああ、材料には疑問はない。だが、なんでカブイモがこうも甘くなる?」
「そのあたりは、水あめを作りながら説明しましょうか」

35. 石焼きカブイモ « まぼろし国の食卓より « 半文庫

テーマ