3.
スリー・ミニッツ・ジャム・メイト
3 / 4
書き散らしの裏

白い指先が踊る。滑る。跳ねる。その度に腹の底に響く

 白い指先が踊る。滑る。跳ねる。その度に腹の底に響くような衝撃を受けた。
 小さな体には不釣合いなロングスケールのブラックボディ。ピンと張られた四つの弦を、しかし彼女は力強く弾く。
 刻むビート。
 心地よいグルーヴ。
 小さくて大きなベーシスト。ひとりいるだけで空気を変える。ボーカルもギターもドラムもほとんど印象に残っていない。

 妖精がそこにいた。

 奏でる三分間。ずっと呆然としていた。けど、その感情が沸き起こるまで一秒もかからなかった。
 一目惚れだった。彼女がほしいと思った。
 けれどもどうやって声を掛けていいか分からなかった。
 そしておれは臆病な上に口下手だ。仮に声を掛けられたとしても、旨く伝えられるかどうか怪しい。
 ひとりでどうにかできるとは全く思えなかったから、おれは信用のおける友人に相談することにした。

「そりゃあもう声掛けるより他ないだろう。たとえば『上手いね』とか感じたままに伝えれば話の取っ掛かりになるだろう」
「おれごときが『上手いね』とかおこがましいにもほどがある……」
「お前はどれだけ卑屈なんだ……」
「だいたいそんなリア充みたいなことできるかよ」
「……多分ここの生徒の大半はお前のことをリア充だと思うだろうよ」
「なんで!?」

 驚いて声を上げると、白けた視線を注がれる。

「その髪の色と、普段背負ってるギターケースみたら、そう思うんじゃないのか」
「ばっかリア充は見た目じゃねえよ。リアルが充実してるからリア充なんだろ。おれなんかリア充どころかリア乏……」
「見た目で充実してそうなんだろうよ」
「ばかな……」

 生まれてこの方フラグなんか立ったことない。幼馴染が起こしに来ることも(そもそも幼馴染がいない)、姉も妹もいないし、ある日突然妹ができるなんてこともなかった。親戚に女の子? いないいない。それ以前に女友達すらいない。男友達にしたって目の前のこいつだけだ。こいつもどうしておれなんかにわざわざ付き合ってくれるのかよく分からん。

 そもそも、リア充的外見でいえば、この目の前のやつも大概リア充の要件を満たしているように思える。
 整った顔立ち。均整の取れた体つき。知性の宿る眼差し。時折見せる物憂げな表情。クラスの女子たちが騒いでいるのをおれはよく知っている。眉目秀麗とはこういうやつのためにあるんだろう。
 おれとは違う。
 べ、べつに羨ましくなんか……。

「また卑屈なことを考えている目をしているな。逆に考えてみたらどうだ。リア乏なんだろう。失うものは何もない」
「なけなしの自尊心も打ち砕かれちゃうんですかね……」
「いっそスッキリするんじゃないか?」
 他人事だと思って好きなことを……。
「だいたい部活にも入らんで青春を謳歌しようというのがそもそもの間違いじゃないか」
「だって知らない人と同じ時間を共有するんだぜ……」
 そんな怖いことできるか。
「……まあ、お前がどうしようもない愚図で根性なしなのはよく分かってることだ。一肌脱いでやらんこともない」
「まじか」

 あと周りの女子騒ぐな。こっちみんな。一肌脱ぐってそういう意味じゃねえよ。

「いいか、ぼくがやるのはセッティングまでだ。そこからは知らん。お前次第だ」
「まじで恩に着る」

 そんなわけで持つべきものは友達である。
 あいつは彼女の名前も通う学校もすべて調べてきた。どうやって調べたのか聞いたらいわくバンド名ですぐに見つかったんだとか。バンド名とか覚えてなかったのにどうやって調べたんだよ……。

 しかし驚くのはその先で、今日この学校に来るらしいってことだ。この音楽室まで連れてくるんだとか。どうやって約束を取り付けたのか。はなはだ疑問だが、聞いたところで多分おれにはとても実行できそうにないので、聞かないままでおく。

 やつのプランはこうだ。

『話題を共有すれば会話は弾む。しかしお前ときたらろくに話もできん。口が利けないのなら、他の共有できるものを使えばいい。彼女がベースを弾く。ならお前はなんだ? ギターがあるだろう。下手? そんなもん知るか。巧拙なんか関係ない。大事なのはお前の気持ちだろう。思いの丈をぶつけろ。やるだけやれ。人生に一度くらい、本気を出してみろ』

 簡単に言ってくれる。けれども、それでおれの心臓に火が入ったのは間違いない。これだけ発破をかけられて動けないならもうきっと何にもできないだろう。いや、むしろいまなら何でもできそうな気がしている。

 来た。

 足音だ。階段を上る足音。ついに彼女がここに来る!

 高揚。期待。不安。緊張。焦り。

 やばい。どうしよう。

「なにやってるんだお前は」

 こんと頭を叩かれた。隣を見ると、我が悪友の姿である。いつの間に。
 そして指差す。そちらを見遣ると。

「どうも」

 彼女がいた。

「え、あ、どどどど、どうも」
「……やれやれだな。まあ、ぼくはこれで席を外すけど」
「え、おい待てやめろここにいろよ」
「……」

 痛い、視線が痛いよ!
 けどしょうがないじゃないか!
 憧れの相手を目の前にして、緊張するなって無理な話だし、女の子と話す時点でまず無理だし、他人と話すのだってもうやっぱり無理な話だ。

 懊悩するおれに、ゆっくりと彼女が尋ねた。

「……ベース、聞きたいんでしょ?」
 言いながら、ベースをケースから出していく。
「あ、うん」

 頷くおれを傍目に、アンプのスイッチを入れる友人。
 電源を入れたのを確認すると、彼女は弦に指を這わせ……。
 低く重く、けれども、クリアではっきりした力強い音。

 この音だ。

 まだ彼女は音を確認しているだけで、なにか曲を演っているわけじゃない。
 でも、この音だけでおれは心を揺さぶられる。
 そうだ。何のために彼女に来てもらったんだ。

 ギターを手に。
 彼女がおれの方を見る。そして不敵に笑う。

「──三分だけよ」

 弾く。

 瞬間、衝撃がつま先から頭のてっぺんまで一気に駆け抜けた。
 待て待て、まだ彼女はただコードを弾いているだけじゃないか。
 慌てず、弦を押さえる。ピックを手に。まずはピッキングでアンビエンスを作る。
 彼女がくすりと微笑んだ気がした。
 次の瞬間にはもうその指はネックの上を跳ねている。
 単純なコード進行から、音が走り出す。うねりを見せるベースライン。不意の微妙なリズムはシンコペーション。気に入ってくれたのだろうか。
 ベースが動くなら。
 ストロークに切り替えてバッキング。
 リバーブをきかせたメロウな音色から、ディストーション。歪んだ音が響く。
 音を刻む。彼女がリズムを刻む。グルーヴを作る。
 すごい安心感だ。こんなに力強いベースがいたら、誰だって無敵になれる。
 自然と指が走る。
 普段ならミスを恐れて固まりがちなフレーズでも、今なら弾ける気がする。いや、弾ける。弾いてみせる。
 ベースに合わせるようにリフ。
 すると彼女は、そのベースラインを更に跳ねさせた。
 思わず息がこぼれる。口が笑いの形に歪む。こんなベースについてこいって? 無茶を言う。
 CDでどれだけ超絶的な技巧を聞いたって、DVDでどれだけ見たって、今目の当たりにしてる何分の一も分からないだろう。目で見て耳で聞いて肌で感じて実際に一緒に弾いてみてその凄まじさを知る。
 後はもう何が何だか分からなかった。無茶苦茶弾いていただけだったと思う。

 もっと弾いていたい。そう思った。けれども、不意に音が途切れた。

「はい、三分」
「え……」

 隣で手を叩く。そういえばずっと見てたのか……。

「大したもんじゃないか。ぼくは素人だからよく分からないけど」

 肩で息をするおれは、友人の弁には答えられない。
 身体はたった三分なのにずいぶん疲れている。

 でも。

「弾き足りない?」
「……」

 おれは意を決して、息を吸い込む。

「頼みがあるんだ」

 彼女は答えず、おれの目をじっと見る。

「おれとバンドを組んでくれ!」

 ずるりとこける音がした。

「おい、お前……それを言うために、ぼくにこの子を呼ばせたのか?」

 眼鏡を押さえ、わが友人はそんなことを言う。

「そうだ。これだけ演れるベーシストなんてそうはいない! おれはパートナーを探してたんだよ!」

 そして彼女に向き直り、もう一度伝える。
 大丈夫だ、手応えはある!

「ごめん。お断りします」
「え……」
「たった一回のアンサンブルで、私と組みたい、とか、ちょっと気が早いんじゃない?」
「でも、楽しそうに弾いて」
「一緒に弾くのは楽しいね。きみじゃなくてもいいんだけど」
「ぐう……」

 心が折れるとはこのことだろう。

「はは、ははは」

 他人事だと思って……。

「でも、そだね。そっちのきみも一緒にやるんだったら、考えてもいいかな」
「え? ぼく」

 ちょっと待て。
 心なしか、彼女の頬が赤い気がする。
 もしかして、すんなりついてきたのって……。

「うん。割とタイプだし」
「え、え?」
「……おい」

 腕を掴んで引き寄せる。

「うんって言え。言わなきゃお前との友情はここで打ち切りだ。言っても打ち切りだけどな」
「どっちもじゃないか。だいたいぼくにその気は……楽器だって弾けないし」
「やってやれないことはないって言ったのはお前だろ!」

 言い合うおれたちに、彼女が気まずそうな顔で口を開く。

「あー、えっと……」
「いや、いいんだ。おれはきみと付き合いたいとかそういうのじゃなくてバンドを組みたいって思っただけなんだ。こいつも彼女とかいない。何にも問題ない」
「お前……ほんとにバンド組みたかっただけか?」

 おれには何も言えない。
 ……そういうことにしとけ。それが情けってもんだろう。

 しかし、彼女が気にしているのはそこではなかったらしい。

「一緒にバンド組むにしても、ドラムがいないから。そこの彼と、ドラム。どっちも条件満たさないと、演れそうにはないけど」

 なるほど、確かにそれはそうだ。

「問題ない、こいつがドラムを演ればいい」
「おい何を勝手なことを」
「一肌脱ぐんだろ。二肌でも三肌でも……ねえどうしてそこで顔を赤らめるの!?」
「やだ、そんな恥ずかしいこと言わないでよ……」
「そういう意味じゃないからね!?」

「じゃあ、二週間後、またここに来るから。そのときはそこのきみがどれだけドラムを叩けるようになってるか、楽しみだね。あと……きみのギター。とりあえず及第点だけど……まず、もっと正確に。ノリはよかったけど、いまいち意外性がなかったね。私をひっくり返らせるくらいのを」
「はい……」

 最後の最後まで凹ませてくれる。

「本当にやるのか……」

 隣にいる友人も見事に意気消沈している。ざまあ。

「ん。楽しみにしてる。それじゃね。あ、あと」

 微笑んで頷くと、振り向きざま、彼女は言う。

「ライヴ演ってるから、また見においでよ」

 そうして去っていく。
 おれたちは呆然とそれを見送り、やがて、お互いの顔を見合わせ、口を開く。

「それって……」
「うん。ぼくたちは遊びってことだろうね」
「おいおい……」

 これが一番堪えた。相手はしてくれる。けど本気じゃないよ。
 なけなしの自尊心が木っ端微塵だよ。

「……ドラム真面目に教えてもらえるかな」
「え?」
「彼女の本気を引きずり出そうじゃないか。このまま引き下がったら、男じゃないだろう?」
「お前……」
「頼りにしてる」
「おう」

 お互いの腕をぶつけ合う。
 もしかしたら、本当の意味で強力なパートナーを見つけたかもしれない。

「あ、でもおれドラムとか弾けないんで」
「なんだと」

 先はまだまだ、長そうだけれど。

白い指先が踊る。滑る。跳ねる。その度に腹の底に響く « 書き散らしの裏 « 半文庫

テーマ