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読坂連続行方不明事件
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黄昏フォークロア

読坂連続行方不明事件〈了〉

 あれから三日が経った。
 淑緒はベッドに横たわり、天井をぼんやりと眺める。
 読坂での任務は終わった。
 淑緒には次の任務が与えられることになる。
 そうすればまた新しい街へ向かうことになるだろう。
 次はか。

 ただ、しばらくは療養が必要になる。
 淑緒は今、読坂市中央病院に入院している。
 虚時間から帰ってきたとき、淑緒は腹から、背中から、大量の血を流しながら、住宅街の路上に倒れていた。
 降瑠に抉られた傷と、あのんに斬られた傷だ。
 すぐにあのんが救急車を呼び、事無きを得た。出血の割に傷が浅かったことも関係しているかもしれない。ただ、この程度の傷で何故これほどの出血を?と治療を担当した医師はしきりに奇妙がっていたという。
 虚世界では、ほんの一瞬だけとはいえ、身体が完全に切断されていたのだ。心臓も、肺も。だが、淑緒は生きている。なぜなら、あのんは刀なんて持ち歩いていないのだから。犬神をったのは、の力だ。
 ひどいこじつけだと思う。
 思うが、だからこそなのだ。世界を語り、騙す。己も、味方も敵も、世界さえも、騙す、作り話を語る。それが〈語り部〉であり、だ。
 と、言ってみても、やはりひどいこじつけだ。
 上手くいかなかったときのことは考えていない。ひょっとすると上手くいかなかったのかもしれない。だが、そう思った瞬間に、上手くいかなくなるのだ。少なくとも、虚時間では。
 ともあれ、失血がひどく、著しく体力が落ちていて、しばらくは入院生活をなくされている。怪我が治るまでは、この街に留まることになるだろう。
 病室のドアがノックされる音。
 どうぞ、と告げる間もなく、ドアがスライドして開き、ノックの主が姿を見せる。
「あのさ、返事を待たずに入ってきたらノックの意味ないでしょ」
 そこにいたのは、あのんだ。
「見舞いに来てあげただけでも、感謝されたいくらいよ。どうせ、他に誰も来ていないんでしょう」
 転校してから二日目に大怪我で入院したんだから、交友関係が浅いのは仕方がないだろう、と淑緒は思う。
「古府さんは、結局行方が分からないまま?」
「ええ」
 虚時間で淑緒を刺した後、降瑠がどこに行ったのか、未だに分かっていない。刺されて淑緒が意識を失っていた時間というのは、ほんのわずかな間だったが、意識を取り戻したときには、既に降瑠も比奈の首も、どちらも姿を消していた。比奈の首は、降瑠が持ち去ったのだろう。
「ただ、そもそも古府降瑠という人物なんて、本当に最初からいたのかしら。わたしはそれさえも疑わしく思えている」
 あのんは、だんだんと降瑠のことを忘れてしまっていっているようだった。あのんだけじゃない。クラスメイトも、誰一人として覚えていないらしい。
「ただ、思い当たる例がないでもないわ」
「というと」
「降瑠は、比奈に呼び出されたと言っていたそうね」
 頷く。それを尋ねる前に、淑緒は刺されて、意識を失ってしまったのだった。
「淑緒は、イマジナリーフレンドというのを知っているかしら」
「想像上の友達?」
「そうね。空想の中にだけ存在する、架空の友人。だけれども、生み出した本人は、いると信じている」
「それが、実体化した」
「おそらくは、そう。だから、もうそのときには、何らかの能力に覚醒していたのでしょうね」
「でも、そんなふうには思ってなかったみたいだけど」
「それが実際に存在するのなら、自分が生み出した存在だなんて思わないでしょう?」
 確かに、そうだ。自分が生み出した存在だと認めるということは、存在を否定するのと同じ。
「言霊のような力の持ち主だったかもしれないわね」
「あのんと同じ、か?」
 だが、あのんは曖昧に、薄く微笑むだけだ。
 微笑む?
 今、あのんは、笑ったか?
 だが、確認しようと表情をうも、そこにあったのはいつもの無表情だった。
 見間違い、気のせい。そう思うこともできるが。
「人の記憶から薄れていくというのは、どういう気持ちなんでしょうね」
「古府さんのこと?」
 彼女は、比奈の友人でいることが存在意義だったようだ。ほかの誰かから忘れられても、気にはしないのではないだろうか。
「七瀬あのんは、本名じゃないわ。わたしの友人に貰った名前。本当の名前は、失われてしまった」
「失われたって、いったいどういう」
「食べられてしまったのよ。に」
〈真奈喰らい〉と彼女は呼んでいる。
 名前というのは、その人をあらわすシンボルだ。シンボルに過ぎないが、実体はそれを指し示すシンボルがあって初めて認識できる。
 名前を失うということは、世界から忘れられることに等しい。それでも彼女が今こうしてここにいると認識できるのは、偽名、つまり仮ながらもシンボルがあるからだ。だが、偽名はあくまで偽名。
 やがて七瀬あのんという少女のことは、人々の記憶から抜け落ちていく。
「あなたには名前がある。大事にすることね」
 淑緒が自分の名前が気に入らないといったときに、彼女が不機嫌になった理由に思い当たる。
 自分だけの名があるのだから、
「ん……デンワに着信があるわね。少し席を外すわ」
「ああ」
 あのんが病室を出て行くと。見計らったようなタイミングで、デンワにメッセージが届いた。
 差出人欄は、いつかと同じように文字化けている。
『だから、おしゃべりな子には気をつけてって言ったじゃないですか』
 ふと疑問が頭をる。このメッセージに、返信できるのだろうか。
『きみは一体何者なんだ』
『あれれ。あのんちゃんから聞いてないですか? わたしは、〈語り部〉ネットワーク “アルフ・ライラ・ワ・ライラ” の後方支援を担当するジーニーこと、です。さとりって呼んでください』
『その反応だと、差出人欄の表示がおかしいのは、わかってるってことだよね』
 次の返信からは、差出人欄が「さとり」に変わった。
『試すような形になったことはお詫びします』
『で、“アルフ・ライラ・ワ・ライラ” って言ったけど、本気で言ってる?』
 “アルフ・ライラ・ワ・ライラ” 。構成員ただ一人の、伝説的な〈語り部〉ネットワーク。
 彼女のいうことが本当なら、構成員は少なくとも二人いることになるが。
『どうでしょう? 他の方と同じように、ただの自称かもしれませんね。でも、わたしとあのんちゃんが “アルフ・ライラ・ワ・ライラ” を構成しているのは、わたしとあのんちゃんにとっては真実ですから。そう思ってください』
『じゃあ、あのんはシェヘラザードってわけだ。名前のない語り部シェヘラザード。そういう噂を流したほうが、食付きがいいんじゃない?』
 ここまでノータイムで返信メッセージが届いてきたが、このときは、返信に少しだけ間が空いた。
『そうですよね……あのんちゃんの名前のことを知ってるんですよね。あのですね。あのんちゃんが名前のことを話すのはめったにないことなんです。下の名前を呼ばせる、互いに下の名前で呼び合う、これだけでも充分、相当に気に入られてるとは思うんですけど。けちゃいますね』
 長文を打っていたにしては、短すぎる間隔。
 思考の間、というのが適切な気がした。もしそうだとすれば、思考を垂れ流すようにメッセージングできるということになるが。それじゃ、まるで。
『今、まるで “NT” みたいだなって思いましたね』
『思ってないよ』
 心臓を鷲掴みにされたような心地で、そう返信する。
『そういうことにしておきましょう。そろそろあのんちゃんが戻ってきますね。もし退院した後も、何かの機会でまたここに来ることがあるなら、あのんちゃんと仲良くしてあげてください。あのんちゃんのことをちゃんと覚えてくれる人が増えたら、きっと……』
 意味深な言葉を残して、メッセージのやり取りを切り上げようとする。
 だが、その前に聞いておきたいことがある。
『電車の中でアドバイスをくれたのは、さとり?』
『さとりは、岐府の山奥に引きこもっているのです。ここ数年、家から一歩も出ていません。“NT” であるさとりの居場所は、電子の海にはあっても、現世にはありません。淑緒さんが見たのは、人違いじゃないですか?』
 おそらくは、さとりの言うとおりなのだろう。
 それを信じるかどうかは。
『とだけ、答えておきます。信じるかどうかは、淑緒さんの自由ですから。それでは、また縁があれば——』
 そう。自分次第だ。
 足音が近付いていくる。あのんが戻ってきたのだろう。あのんが部屋に入ってくるまでのその間が、ほんの少し所在なくて、ふと、病室備え付けのテレビをつけてみる。流れるテロップ。
《——読坂市でまた不明者が——》
 目を疑うよりも早く、“ゴドディン” からメッセージが届く。
『——先日の読坂連続行方不明事件の報告、大変興味深い調査内容になっている。ただ、事件は以前、継続中と思われるため、引き続き調査を願いたい。今後の報告を待つ——』
 入り口のスライドドアが開く。彼女との付き合いも、思ったよりは長くなるのかもしれない。それも悪くないな、と淑緒は思う。
 どうやらもうしばらくは、この街で活動を続けることになりそうだ。

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