1.
領主の娘とパン
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まぼろし国の食卓より

5. 使用人見習いとしての日々

 使用人の仕事の他にも、ぼくは覚えることがたくさんあった。
〈ぼく〉は牧畜民の子供だったのだけど、なんと字の読み書きができない。とか言ってみたけどべつに不思議なことでもなく、義務教育制度もないし、本や新聞などの文字媒体も、少なくとも牧畜民や農民には普及していない。そしておそらくは都市住民にも。

 下働きの使用人になるならともかくとして、従者、それも領主の娘の側付きになるなら、それなりの教養が求められるし、そのためには読み書きもできる必要がある。
 言葉がわかっても読めないのはずいぶん不自由だ。書くのは日本語で書けるから自分用のメモくらいは残せるけれど、誰かに手紙や伝言をするには困る。
 だから読み書きを教えてもらえるのは、こちらとしても望むところだった。

 韋語はアルファベットのような文字でつづり、基本的につづりのとおりに読む。
〈わたし〉が六年に渡って受けた英語教育のおかげで、概念の理解はしやすかった。日本の教育水準の高さに感謝。
 とはいえ、かな文字、漢字、ラテン文字の三種類に加えて四種目の文字をあらたに習得するのは、少なくない混乱がある。しかも、韋語の響きは英語に似ているから、頭の中ではラテン文字が飛び交っている。
 これは慣れるまではちょっと大変そうだ。

 文字の読み書きは、この国やこの世界の教養を題材にして学んでいる。

 たとえば、この国、イスランド王国のこと。
 イスランド王国はイズ人が建国した国であり、イズ人の言葉である韋語が話されている。
 王国の北部は冷涼で南部は比較的温暖。

 この国の西側には南北に渡って な山脈がある。アンデス山脈を想像してもらうといい。その向こうがどうなっているのかは誰も知らない。山を越えられたものはいないし、あるいは山の向こうからも誰も来たことがない。山の向こうにあるのは世界の果てだとも。

 北東部の高台はハイランドと呼ばれていて、高原の民が住んでいるという。
 ほとんど接触がないからか資料にしく、どういった人たちが住んでいるのかはよくわからない。

 国の北側には、北の民の領域がある。北の民という名にある北というのは、この国の北ではなくて、大陸の北のことだ。つまり北の民の領域が大陸の北端で、その先には海がある。氷に閉ざされた極寒の北の海が。
 これは推測でしかないけど、北の民の領域ってほとんど北極圏なのだろう。

 国の南側は広大な魔の森が広がっている。牧畜の民が家畜を放牧するために歩くのがこの魔の森の辺縁部だ。マウシカやラクは森に茂る下草を食べ、カモシシは木の実やきのこを食べる。
 森の向こうがどうなっているのかはわからない。森全体が魔境になっていて、森を抜ける前に怪物に襲われるか、幻素の毒に侵されて死ぬと言われている。
 うん、このあたりの知識については、〈ぼく〉が一族から伝え聞いているもののほうが詳しいな。

 そして、この国の東側。南半分はノルサント王国と接し、北はいくつもの小国家からなる国家連合が横たわっている。
 わからないことだらけの南側や西側と違って、東は人の関わりがあるぶん、わかることが多い。特に、ノルサント王国はイスランドの主要な交易相手だ。貴族の従者になるなら抑えておくべきことがたくさんある。
 たとえば名産品。湿地帯原産のスイヨウの放牧が盛んで、チーズが特産。水はけがよく果樹の栽培に適していて、果実酒も有名だという。

 こんな感じで、使用人見習いとして働くのと並行して、読み書きやこの世界の教養を学ぶ。忙しいけれど充実した——悪く言えば詰め込み型過密カリキュラムの——日々を送るうちに、ぼくの従者見習い期間はあっという間に過ぎていった。

 使用人見習いとしてのぼくは、とても順調だった。
 半月ほどで、ぼくは一通りの仕事をこなせるようになった。
 これにはさすがの爺も驚いていた。
 前世の実務経験と丈夫な体に感謝。
 病み上がりのいいリハビリになってよかったね。
 読み書きの方はまだまだなんだけどね……。

 さて、下働きとしての仕事を覚えるのが一段落したところで、今抱えている問題と向き合う必要が出てきた。

 忙しいときは、空腹が満たされれば充分だと考えることがある。
〈わたし〉が社会人生活を送る中、仕事に忙殺されて食事にかまっていられなくなったときは、朝はゼリー食品(十秒チャージ、二時間キープ)、昼夕にはブロック食品(バランスよく栄養を摂取)、合間合間にエナジー飲料(翼を授かる)——そして深夜にラーメン、牛丼、コンビニ弁当をローテ。そういう最悪の食生活を送っていた。

 一時的には、そういう生活を続けることもできる。
 ずっと続けるのは〈わたし〉には無理だった。

 今抱えている問題、それは食事だ。
 食事の質だ。

 いや、知ってはいたのだ。
 牧畜民の集団で育っているときの記憶から、この世界の食がそれほどは洗練されていないことに。それでも〈ぼく〉の記憶には味に対する不満はそれほどはなかった。
 ただ、それはあくまで〈ぼく〉の味覚しか基準がない状態での話だ。

 ほかの使用人と一緒に摂ったまかないの食事。
 これはあんまりだよ。現代人が食べるにはきつすぎる。
 どうして耐えられたかって、前述のとおり忙殺されて食に構う余裕がなかったからってだけだよ。冷静になったらこんなの続けられるわけがない。

 昨日の夕食は、ヘラムギのポリッジ、ソーセージとカブイモの煮込みだった。

 ヘラムギのポリッジ。これは、粗く挽いた麦粒を粥にしたものだ。
 
 リリーは白い粥——ヘラムギのグリュエル——を薬だと言った。
 でもあれは、傷を癒やすためのであり、「良薬口に苦し」という意味ではない。

 あれで上等な食事なのだ。
 グリュエルとポリッジのどっちがいいかというと、グリュエルのほうが圧倒的に食べやすい。
 あらためて食べたヘラムギのポリッジは、ゴムの粒が入ったスープだと思う。あれが割合おいしいと感じていた〈ぼく〉はなんなのだ……。

 ソーセージとカブイモの煮込みは、悪くなかった。
 カブイモは不思議な食べものだったけど、不思議なだけだ。不味ではない。
 ホクホクとトロトロの中間の食感で、なるほどカブイモかと思った。カブのようでちょっとカブじゃない、イモのようでちょっとイモじゃない、ちょっとカブでありちょっとイモである。そんな食べ物だった。
 ソーセージはちょっとクセがあるけれど、塩がよく効いている。ただ、入ってる量は少なかった。ソーセージの塩気でカブイモを煮たといったほうがいいのかもしれない。ソーセージ1に対してカブイモ9。

 次の日の朝食は、バニッジ、ソーセージとカブイモの煮込み。
 バニッジは、パンだ。といっても、分類上はパンなだけで〈わたし〉が知っているパンじゃない。ヘラムギの粉を練って焼き上げたもの。でんぷんを焼き固めた食べもの。味のしないブロック食品。
 どう表現してもいいけれど、言ってしまえば不味である。
 表面は硬いけれど、全体的にボソボソしていて崩れやすく、パサついていて水気がなく、味はわずかに甘味が感じられるけれど、とても薄い。
 前日の残りのカブイモの煮込みが救いだった。

 その日の夕食は、ポリッジ、ハムとカブイモの煮込み。翌日の朝はバニッジ、ハムとカブイモの煮込み。晩はポリッジ、ソーセージとカブイモの煮込み。バニッジ、ポリッジ、バニッジ、ポリッジ——。

 おわかりいただけるだろうか。

 カブイモの食味が多少よかろうと、毎日カブイモの煮込みは無理だよ……カブラの冬ならぬカブイモの冬だよ……。ソーセージとハムでローテしても、塩味付けの調味料程度にしか入ってないから一緒だよ……。

 でもそれ以上に無理だったのはバニッジだった。
 ポリッジと違って、バニッジは、ほら、味のしないブロック食品を連想させるから……ずっと食べ続けていると……〈わたし〉の記憶が……。

 味は九割慣れだと思う。
〈わたし〉はまだこの世界の食べ物の味に慣れていない。
〈わたし〉の感覚に引きずられている気はする。
 ただ、一方で、〈わたし〉が知っているおいしいものの記憶って、〈ぼく〉には強烈すぎるとも思う。

 そして何よりも、記憶にある味は、味と一緒に記憶を思い出させる。

 つらい記憶と一緒に摂った食事がおいしくなるわけがないのだ。

 ぼくは決意する。
 なんとしてもこの世界の食を改善する——と。

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