厨房係のクーシェルも女中のナーサラも、同じような食事が続くことには不満を感じていないようだった。むしろ、使用人になる前よりも上等なものが食べられているとさえ言う。
クーシェルは領内の有力な農民の息子で、ナーサラは商家の娘だと聞いた。
たとえば子爵家には、男爵家の子女が行儀見習いのために奉公にいく。伯爵家には子爵家が、侯爵家には伯爵家が、公爵家には侯爵家が、王家には公爵家が——というように、下位の貴族の子が上位貴族に奉公することになるわけだ。
では男爵家には誰が奉公するのかというと、農場主など領内の有力な家の子であり、クーシェルもナーサラもその例に入る。
さておき、領内の有力な家の出身でも、あくまで平民にすぎない。食事も貴族ほどの余裕はない。
「クーシェルさんは、ポリッジとグリュエル、どちらが好きですか?」
「うーん、グリュエルって、あれだろう? ありゃ、食べた気にならんのだよな。俺はまあ、ポリッジのほうが好きだな」
「ナーサラさんは?」
「わたしはグリュエルかな。ポリッジよりも滑らかで食べやすいもの」
「カブイモはどうですか?」
「うーん、好きでも嫌いでもないな。カブイモはカブイモだ」
「ヘラムギよりもカブイモのほうがおいしいわよ」
なるほど当てにならない。
そういえば、使用人同士でも言葉遣いに気を遣わないといけないかと思ったら、男爵家くらいの身分だとそこまで気にするものでもないんだそうだ。まあ使用人同士は平民同然だもんな。奉公期間が過ぎて家に帰ったら平民の暮らしに戻るわけだし。
「まあ俺はやっぱり肉だな。特にソーセージがいいね。村じゃ冬になったらカモシシを捌くんだが、そんときにゃ余った肉をそのまま鍋に入れたりもする。が……まあソーセージにしたほうがうまい」
「そうなんですか?」
「なんつうか、生臭いんだよな。香草でめいっぱい臭みをとってもだめだった」
「ふうん……」
カモシシはブタやイノシシに似た獣で、ヒツジのような毛を持つ。見た目はふわふわとしているけれど、実際には毛質は非常に硬く、ごわついている。
牧畜の民は実はあんまりカモシシを食べない。ソーセージやハムはたまに食べるけど、そんなに頻度は高くない。
味は豚肉に似ていると思う。豚肉よりもくせはないかもしれない。塩と香草が効いてるのかもしれないけれど。
牧畜の民は、カモシシを自分たちで飼うことはしない。カモシシを連れて森に行くことはあるけど、それは村で飼っているカモシシを任されたときだけだ。
なのでカモシシが生臭いというのもあまりピンとはこなかった。
じゃあソーセージやハム以外にまったく肉を食べないかというと、たとえば年老いたマウシカを捌いて、干し肉にして食べたりはする。これはとても硬いんだけど、スープに入れるとダシが出る。とはいえ、これもたまにしか食べない。
牧畜の民にとってのマウシカは荷物を運ぶための役畜で、ラクは乳畜だ。ラクは毛を刈って羊毛にしたりもする。
マウシカを捌くのは、年老いて荷が重くなったとき。これまでの労をねぎらい、感謝をささげ、供養のために食べるのだ。
そういうわけで、ふだん食べるのはラクのミルクやチーズ、バターになる。これらは良質なたんぱく質源だから、あんまり肉を食べなくてもいいのかもしれない。
なんて思い出していたら、なんだかラクの醗酵乳が懐かしくなってきた。
また飲みたいなあ。
「屋敷に入って毎日ソーセージかハムが食えてるのは、まあありがたい話だな」
「わたしはお肉より、果物かなあ」
感慨に浸るぼくをよそに、クーシェルとナーサラは談笑を続けている。
「冬になると果物が食べられないから、それはちょっと寂しいわね」
「ルリモモばっかり食ってるからそんなに尻がでかくなるんじゃないのか」
ナーサラが無言でクーシェルを蹴り飛ばした。
「一生尻にしかれろ!」
仲いいなあ。
まあそういうわけで、食に対する不満があれば、自分でなんとかするしかない。
食を改善する。
そのために手始めに自分で料理してみようと思ったものの、調理場を使わせてもらうことはできなかった。
火災を防ぐためだろうと思う。
火を任せるのは信頼に足る人間に限るというわけだ。
それなら外で火を起こすのはよいかと爺に聞いてみると、屋敷の側でなければ構わないということだった。
というわけで楽しい野外調理のはじまりはじまり。
きょうは見学者にリリーが来ています。
「火を使うって言ってたけど、これから何をするの?」
「まずは石を集めようと思う」
「石なんて集めてどうするの?」
「かまどを作るんだよ」
「かまど……?」
首を傾げて、言葉の意味するところを探ろうとして、
「……作れるの!?」
その意味に思い至ったのか、ずい、と顔を近づけるリリー。すぐ目の前にリリーの顔がある。目がきらきらしているし、まつげまではっきりわかる……じゃなくて!
近い、近いよリリー。顔が近い。
のけぞって彼女から離れると、ひとつ咳払いをする。
「かまどっていっても、熱を逃さないようにするとか、火に風でぶれないようにするとか、そういうのが目的だから、そんなにしっかりしてなくていいし、今一回こっきり使えればいいから、丈夫なやつとかじゃなくてもいい」
そう言いながら、ぼくは手頃な大きさの石を拾ってきた。
大きさを見ながら石をCの字に並べていく。
「ここで火を起こします」
「一つ使ってない石があるけど」
リリーが指差したのは、丸くて平たい一枚の石。
「それは後でね」
すっきりしない顔のリリーをよそに、ぼくは即席炉の内側に薪を並べていく。
さて、火起こしだけど。
牧人は野営するので、火起こしくらいはできる。
〈わたし〉は知識として知っているだけだから、実際にできるか不安だったけど。
ナイフと火打ち石。ナイフの峰を火打ち石に打ち付けて、火花を起こして、火口に点火。着いた着いた。「簡単やんけ!」って思ったけれど、簡単にやったのは〈ぼく〉で、牧畜民の子供として技術を学んだからである。
「火が着いた……」
リリーがぼうっと焚き火を眺めている。
「この石は、ここ」
Cの字に並んだ石の上に、蓋をするように平石を置く。……ちょっとバランスが悪い……けどまあよし! 今回は試作なので。
水でヘラムギの粉を練る。どろどろした半液状の生地を熱した石の上に流す。
ジュワッと音を立てて、石の上に生地が広がっていく。
「こ、これで焼けるの?」
「焼ける」
木の棒で均して伸ばす。
生地の縁がふつふつと沸き立つ。
きつね色になってきたら、端にナイフを差し入れて浮かせて、そのまま指で摘んで持ち上げる。
一応できてるようには見える。
ちぎって食べてみる、が……。
「うーん、これはヘラムギ」
「それはそうでしょ」
そう言って手を差し出してくるリリー。
「ん?」
「わたしにも一口って言ってるの!」
なるほどね。
ちぎって渡す。
食べるリリー。
「……ヘラムギね」
「でしょ」
味付けしてないからね。
「でも焼けた」
「焼けた……のよね」
「うん」
試作一号、薄焼きパン(仮)ができた。一応、穀物の粉を練って焼いたという意味では、分類上はパンになるから、パン(仮)としておく。
食感は……確かにパサついてはいるけれど、全体的にしっかり焼けていて、ボソボソとした感じは弱い。バニッジのクラスト部分だけ食べてる感じ。バニッジがボソボソしてるのは、水分が抜けると内側がスカスカになって、生地にコシがないからボロボロになるってことなんじゃないかなあと思っている。想像でしかないんだけど。
バニッジも一回自分で作ったら何かわかるかもしれない。
リリーのほうを見ると、熱に浮かされたようにぼうっとしたままだった。
「どうしたの?」
「え……ううん、なんでもないの。ただ、トーマは……なんかすごい、って思って」
「難しいことはしてないよ」
「そうじゃないの。そういうやり方があるって、考えもしなかったから」
「まあ、たまたま知ってただけなんだけど」
彼女は首を振る。けれども、何も言わないで、曖昧に笑っただけだった。
その日、リリーが何を考えて何も言わなかったのか、後になって思い返してみても、わからないままだった。