「打ち首ですか、縛り首ですか」
「何を言っているかわからぬが……呼び出した要件は、レイフリックについてだ」
「はあ」
男爵の部屋にやってきている。
ぼくを呼び出した当人は、何やら難しい顔をしているし、ぼくはどのような処罰が下されるのかと思ってやってきたのだけど、どうもそのような雰囲気でもない。
「わたしは使用人ですから、仕える相手に対してあのような物言いが許されない立場だと思いますし、どのような罰も受ける覚悟がございます」
本当はないけど。
逃げようとしてたけど……。
「まずはレイフリックがそなたの料理をぞんざいに扱ったことを詫びさせてほしい」
「いえ……わたしは使用人ですし、お嬢様と歳の変わらない子供でもあります。レイフリック様の口に合わない料理を出したわたしにも非があります。分を弁えない振る舞いもしました」
「よい。その料理を作らせたのは私だ。好きに作ってよいと言ったのも私である。レイフリックには何の権限もない。当主の私が許す」
それでも何もお咎めなしってわけにはいかないだろう。あんな振る舞いを許してしまうと当主としての立場がなくなってしまう。力関係を明確に示す必要がある。あの場にいたのは、爺とクーシェルくらいだったけど。
思い当たる節がないでもない。
「……お嬢様のため、ですか?」
「あれが、トーマに罰を与えるならわたしが替わりになるといって聞かぬのだ……」
あまりにも容易に想像できてしまい、笑ってしまいそうになるけれど、笑ってる場合じゃない。
「お嬢様には、わたしからお話いたします。それはそれとして、罰は罰として与えていただかないと、他の使用人の皆に示しがつきません」
「うむ……」
歯切れの悪い答えしか帰ってこない。
いつもの威厳ある姿はどこへやら、という感じだ。
どうしたものかと思っていたら、ふと、男爵がゆっくり口を開いた。
「……レイフリックを見て、どう思った」
「どう、とは」
「正直に申してよい」
本当に正直に言ったら首をはねられたりしないだろうか。
「……上に立つものとしては、少し横柄なところがあるように思います。民の前に出るには、より大きな器を示す必要があるかと存じます」
「少し、横柄か」
男爵は低く笑う。
「いや、よい。言わずとも分かる。私とてあれの親だ。分からぬでもない。だが、あれはあれで、世を見る力があるのだ。今はまだ頼りなくとも、いずれ私の後継を務めるようになるだろう。しかし……リリーが男であったなら、ということも、考えてしまうのだ。もしリリーが男であったなら、あれの足りぬところを補えたのに、とな」
そういって苦く笑う男爵が、貴族でない、ただの父に見えた。
「ひとつお尋ねしてもよろしいですか」
「……なんだ」
「わたしは貴族社会がどういうものなのか、実際に見聞きして知っているわけではないので想像になるのですが、貴族というものは、家を子の世代、その子の世代まで続くよう力を尽くしていくもので、そのためなら、家族や身内であっても利用する……そういうものだと思っていました」
レイフリックやリリーにしても、男爵家を存続させるための駒。
それくらいに考えていてもおかしくはないと思っていた。
でも、今こうしてレイフリックやリリーについて頭を悩ませている男爵の姿を前にすると、男爵もまたランスワードという一人の人間にすぎないのだと思わされる。
「貴族が人の親であることが、意外だったか」
正直に答えていいか逡巡していると、男爵が苦笑いまじりに言う。
「躊躇するということは、肯定と同じだ」
「う……」
「……私とて身内には甘い。特にリリーは、あれの忘れ形見のようでな」
「奥様は、やはりお嬢様に似ていらっしゃったのですか?」
「顔や姿は、似ているやもしれぬ。しかし、あの気性は……誰に似たのであろうな。珍しいものに興味を示し、あれはなんだこれはなんだと知りたがる」
奥方に似なかったのなら、男爵に似る以外にないだろう。
しかしそれは言うまでもないことだ。自分に似て困ったやつだ、と男爵は言外に言っているのだから。
「リリーの好奇心のわずかでも、レイフリックに分けてやることができたなら、あれは殻を破れるであろうに。そんなことを考えてしまうのだ」
「レイフリック様はお若いですから、これからいくらでも学び、気付くことはできるかと存じます」
男爵は答えずに、静かに、ただ薄く笑うだけだった。
「ところで話は変わるが」
「はい」
「赤い食事、であったか。あれは、どこで学んだ」
牧畜の民の文化ではない。男爵はそう言っている。
「わたしが発見いたしました——といえば、それは嘘になってしまいますから、確かにどこかで学んだのでしょう。どこだったか、わたしにももうわかりません。あの地揺れで意識を失ったときに、天啓を授かったのかもしれませんね」
「はぐらかすか」
男爵に静かに見つめられても、ぼくは動じずに、沈黙を保った。
うろたえようがどうしようが、答えようがない。この世界とは異なる世界で学びました、という方が、天啓よりももっと無理がある。
しばらくして、これ以上の追求は無理と悟ったか、男爵はため息をつくと。
熱のこもった目で、どこを見るでもなく、うわ言のように呟く。
「あれは、武器だ。名産のない小さな領地から、あたらしい文化を発信していくことができるようになる……レシャー領にとって、この上なく大きな武器になる」
今後の男爵領の展望を夢想しているかのようだった。
ああ、この人は、やっぱりリリーの父なのだ。
けれども、ぼくは男爵に伝えなければいけない。
その夢想は、かなわないのだと。
男爵のほうを向き直り、「お言葉ですが」と前置いてから、告げる。
「赤い食事を普及させることには、わたしは反対です」
男爵に呼び出された後は、爺から長い長いお叱りを頂いた。
使用人にあるまじき振る舞いであり、相応の罰を受けて然るべきであると、それはぼくもまったく同感だったのだけど、男爵は「沙汰はスティバートに任せる」となんだか投げやりだったので、爺もどうするのがよいのか、結局、ぼくに下された罰は謹慎処分に落ち着いた。
謹慎といっても、使用人を働かせずに遊ばせておくほど余裕があるわけでもないから、使用人としての仕事は普通にする。
使用人としてのあり方や振る舞いを爺から学び、この国の教養について学ぶ。
ここまではあまり変わりはなかったんだけど、なんと、しばらく調理場への立ち入りが禁止されてしまった。
何がいちばん罰として効果的なのか、爺はよく知っていたわけだ。
ただ、クーシェルのまかない料理は以前よりバリエーションが増えている。
もうぼくが食事にかかわらなくても、それなりにおいしい食事を食べられるようにはなっている。
困っているのは、パン作りが停滞してしまったことである。
さて、謹慎初日。
ぼくはリリーに呼び出された。
「……」
リリーはとても不機嫌な顔をしていた。
「どうして呼び出したかわかる?」
「レイフリック様に、失礼な態度を取ったから……?」
けれども彼女は首を振る。
「お兄様には、いい薬だったと思うわ。でも、そうじゃなくて。お父様から聞いたのだけど。赤い食事はもう作らない——そう言ったそうね」
そのことか。
「どうして? あんなにもおいしい料理だったのに。もしかして、お兄様に気を遣っているの? だったら——」
「いや、違うよリリー。そうじゃないんだ」
正確にいえば、レイフリックの反応もまったくの無関係というわけじゃない。
でも、そもそもあの料理は、ぼくの実験だったのだ。
そして、実験は。
「あれは、失敗作なんだよ」
成功しなかった——いや、最初から成功するわけがなかったのだった。